贅沢は味方、いいね!

Webラジオの中で歌手のYUKIがこんなことを話していた。
「SNSの『いいね!』って英語だと『Like!』なんだよね。『Like!』を『いいね!』って訳すのって、いいね!」
笑いながらいいね!を連呼していて、ぼくもつられて笑ってしまったけど、たしかにそうだよな〜と思った。
「好き!」だとなんか「あっそうですか」ってなるし、「うらやましい!」だとどこか受け手に罪悪感が生まれる。
「いいね!」は、自分が共感したという想いだけが相手に伝わって、とてもやさしい言葉だと思った。

そんなことを考えながら、そうか、現代はいいね!の時代に変わったのか!と悟った。

SNSが普及するまで、人は他人の私生活をここまで見ることはなかった。
Face to Faceのコミュニケーションが主であったし、直接の会話でも相手の1日のすべてを知ることはなかった。

それが、SNSが普及してから一変した。

友人が何時に起き、何を着て、何を食べ、誰と会い、何時に寝るかなんて知る由もなかったのに、今やそのすべてがわかる。
けれどそこにストレスは一切ない。そんな他人の生活を一方的に受け止め、その中から共感するモノに言葉を投げることができるからだ。
そうした、時間差もあり、選択肢もあるコミュニケーションスタイルは、やはり面と向かっての会話をメインに生きてきた40代以降の人々には抵抗のあるものだろう。
「他人が何してるかなんて興味ない」という発言の裏側には、やはり「会う会話」を積み重ねてきた文化が存在している気がする。

そうした時代を生きてきた人々にとって、他人の幸せに共感するなんて訳がわからないだろう。
会話の中で自分の幸せを話せば、自慢話として受け取られることのほうが多い。それに共感し盛り上がることは、やはりこれまでは少なかっただろう。
隣の芝は青く、他人の不幸は蜜の味だった。
それは既存のコミュニケーションのカタチが生みだした慣用句であり、通念であったのではないだろうか。

ところが、現代では「いいね!」が主流だ。
友達でない他人の幸福にすら、現代人は共感する。
「うらやましい!」じゃなく「いいね!」と感じる、それは確実にSNSの影響だ。
もし、直接の会話で

「この前食べたスイーツがすんごいおいしくて〜、ほらこれ画像!すっごいでしょ?いいでしょ?」

と一方的に言われても、甘党じゃなければ「へぇ〜そうなんだ〜」と返すのがオチだ。むしろ若干イラつくくらい。


対照的に、デジタルの情報発信は「一方的」であるからこそ、受け手は自由に共感できる。
共感できないものを読み飛ばせるし、読み飛ばすことで相手に不快感を与えることもない。
単純に共感的な感情が動いた時にだけ、コミュニケーションを図ることができる。
隣の芝は好きな時に見る時代、他人の幸福は蜜の味なのだ。

そんな現代って、やっぱりやさしくないだろうか?
もちろん、デジタルの発展でないがしろにされるものも多いのだけど。

でも新しいコミュニケーションツールは、たしかに幸福をもたらしたんじゃないだろうか。


AIが人間の脳を追い越すとか、シンギュラリティとか、なんか未来は恐ろしく思えちゃうけど、人間は、人はたぶんもう少し賢いって、信じたい。

ってまとめがデカくなったけど、デジタルだって悪くはないって、実感しませんか。

だって、いいね!って、いいじゃん。

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