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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(152)高師直VS雫の「執事」のプライド対決! 合理主義者の師直ですら「物の怪のガキ」はあっさりと受け入れる鎌倉・南北朝時代の精神性は、現代人に投げかけられた深いテーマでもある!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年4月12日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「執事だと? 物の怪のガキが執事の真似事か

 『逃げ上手の若君』第152話の冒頭から高師直と雫の、執事のプライド対決にツッコミどころが多すぎです。そしてまた、本人たちが真剣な分、笑い倍増、かつ、師直のどこか憎めなさを感じる展開でした。
 前回の最後で、師直が憎々し気な表情を浮かべて雫のことを「貴様… 人ではないな」と言った時にも思ったのですが、合理主義者の師直でも怪異をあっさり受け入れているというのは、やはり彼も鎌倉・南北朝時代人なのねと思いました(松井先生のキャラクター作りには、細かい部分でいつもいつも唸らされます)。
 そして、現代のピー音よろしく、亜也子が笙で「ファ~」音を師直のセリフにまで入れているのは、「若は知らない方がいい事」に対してだけではない配慮でしょうか(笑)。ただ、顔を赤らめて力説する少女執事の雫の「ファ~」には微笑ましさを感じるのですが、無表情で上から目線の師直の「ファ~」が妙に生々しくてキモいぞ! オッサンたち、「四六時中」何をしているんだ!?

 ……実際の「執事」ですが、亀田俊和氏の『観応の擾乱』によれば、「鎌倉時代後期の高一族嫡流は、足利氏執事として同氏の家政機関を管轄し、奉書(主君の命令を伝達する文書)や裁許下知状を発給し、文筆官僚として活躍した」とあります。
 ※家政…①一家のおさめかた。家庭生活を処理していく手段・方法。②一家の経済。一家のくらしむき。〔広辞苑〕
 師直について言えば、「恩賞方の頭人として、尊氏の恩賞充行袖判下文の発給に携わった」などの「広範な権限を行使」したということですが、詳細はまた別の機会に譲りたいと思います。
 ※充行(あておこない)…荘園や中世武家社会において、土地や所職などを給与することをいった。〔国史大辞典〕
 ※ 袖判(そではん・そでばん)…文書の袖(右側空白部)に花押を書くこと。また、その代わりに印判を押すこと。花押や印判のこともいう。〔日本国語大辞典〕

 玄蕃には、「雫の体」ではなくオッサンの方に「突っ込み」してほしかったところですが、夏は夏で、雫の「服が体を通り抜けた」ことが気になっており、忍の二人は師直とは違う意味で現実主義者なのかもしれませんね。時行は天然なので余裕のリアクションですが、亜也子と弧次郎があまり疑問を感じないのは、純粋な諏訪育ちだからでしょうか(その点、夏は上州出身ですので、二重の驚きだったのかもしれません)。

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 第152話で嬉しかったのは、現人神の明神ではなく、諏訪の神官のトップらしい姿で登場する、諏訪頼重と雫との出会いの場面があったことです。「ミシャグジ」については前回の本シリーズで扱っています。

 監修の石埜三千穂先生が『解説上手の若君』再登場して、小中高生読者にもにもわかりやすい解説をしてくれるのではないかという期待を抱きつつ、「ミシャグジ」について少し補足してみます。
 前回も参考文献とした北沢房子氏の『諏訪の神さまが気になるの』には、「ミシャグジの名を持つ神社は、諏訪に限らず東日本を中心に至る所に存在します」とあります。「昭和30年前後からミシャグジ社とミシャグジ信仰について調査した茅野市の郷土史家・今井野菊」の研究によれば、「産土神うぶすながみとして村で祀っていたり、氏族の氏神として祀ってしたり、個人の家で祀っていたり」するほか、「子供の守護神」でもあり、「耳や腰から下の病気に霊験がるとされていた」など、「身近な悩みよろず引き受けの神となって、暮らしに溶け込んできた」ということです。
 ※産土神…生まれた土地の守り神。近世以後、氏神・鎮守の神と同義になる。

 いずれにせよ、雫は頼重に教育された精霊といったところでしょうか。顔まで似るのかなという疑問はありますが、頭脳戦を得意とする点や世間の常識とのズレは教育の賜物でしょう(笑)。ただ、頼重とも違う微妙な感性のズレ(ややブラックなところや魅摩との双六勝負を制した驚愕の戦法)は、人間じゃなかったからだということで、身に帯びた神力も含めてのこれまでの疑問は解けた気がします(……ですが、「当たり判定」って何ですか?)。
 なお、ミシャグジの「本家本元」は諏訪大社・前宮ーー時行が頼重と過ごした場所だということです(戸谷学『諏訪の神』)。第24話「不可思議1334」の舞台となった「守屋山」のふもとの社です。
 個人的なことですが、私は諏訪の四社の中では前宮に最も魅かれます(前宮には諏訪の神秘の力を最も感じています)。機会があればこれをお読みの皆さんにもぜひ一度訪れてほしいと思っています。
 石塔範家が「諏訪で天女を見た」(第80話「理想1335」)のも、おそらく守屋山だったのでしょう。それにしても、石塔は見る目あったなと思いました。美少女の形をした「人の世に溶けて消滅する定め」の精霊だなんて、二次元に恋する男性にとっては究極の存在じゃないですか(笑)。

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 「顕家 汝はずっと余の中で最強だ」(ゴス

 幼くともさすがは義良のりよし親王(後の後村上天皇)、顕家への最高の誉め言葉とクソな公家への制裁に喝采です! 身分を盾にする彼らにとって、天皇の御子である親王のされることは絶対です。……ゆえに、親王も「帝の命」には逆らえないので、「四条様」と一緒に吉野へ帰らなければならないのですが、自らの刀を顕家に渡していますね。おそらくこれは、「節刀(せっとう)」的な意味を持たせているのでしょう。節刀とは「天皇が将軍や遣唐使の長官に授けた刀」のことで、義良親王のこの行為には、顕家に対して「天皇の権限を代行する」役目をあらためて与える意味が込められていたものと思われます。

 「節刀」については、かつて「逃げ若を撫でる会」において、渋川義季が出陣する際に話題となりました。

 『逃げ上手の若君』では、「四条様」の「我らの援軍」ゆえに敗北を喫したことになっていますが(新田、結城、南部のいずれもが「逃げ来る」公家たちを「邪魔」と思いながらもどうすることもできないというのが、松井先生の見事な解釈でしたね!)、古典『太平記』では次のように語られています(日本古典文学全集の現代語訳を引用します)。

 顕家卿の軍兵も、ここが一大事の場所だと防戦したけれども、長旅の疲れ武者なので、どうして敵し得ようか。第一陣・第二陣が散り散りに破られて、数万騎の軍兵たちはばらばらになってしまった。顕家卿も同様に行方不明になられたと伝えられたので、直信・直常兄弟は、敵の大軍勢を簡単に追い散らして、無事に都へお帰りになった。(中略)顕家卿とその弟春日少将顕信朝臣は、このたび奈良から逃れた敗軍の士卒を集め、和泉の国境あたりに打って出て……
 ※直信・直常兄弟…桃井直常・直信兄弟。全集が底本としている天正本では兄弟で活躍している。
 ※その弟春日少将顕信朝臣…全集の頭注には「春日顕国と考えるのが正しいようだ」とある。

 「神の加護をくれる君も心強いが… 今は人の君の力こそが必要なんだ

 精霊としての力を今使うことこそ「私の存在意義」だとする雫に、静かながらも真っ向からそれを否定する時行。ーー鎌倉・南北朝時代が「不思議」の力と人間とがとともにあった最後の時代とは言っても、そのどちらか一方に頼り切るのではないあり方を、『逃げ上手の若君』の登場人物たちは模索しています。この作品が内包する深いテーマのひとつです。
 実際、近代が作り上げた経済と科学技術をモデルとする社会が限界に達した現代にもまた、私たちが失ってしまった精神性(宗教的な力や霊性など)が何であったのかを探し求める人々が現れ始めているのを感じています。 

〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、亀田俊和『観応の擾乱』(中公文庫)、北沢房子『諏訪の神さまが気になるのー古文書でひもとく諏訪信仰のはるかな旅ー』(信濃毎日新聞社)、戸矢学『諏訪の神』(河出書房新社)を参照しています。〕


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