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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(143)奥州武士たちを吹っ飛ばしまくる、比類なき強さの土岐頼遠に弱点はあるのか……? (最後はやはり北畠顕家の矢しかないと思います。)

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年2月10日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕

 

 土岐頼遠が、「精鋭騎馬兵約五百騎」と残りの「人間爆弾」の「千余騎」(『太平記』)で「数十倍の顕家軍に勝つつもりだ」という解釈に震撼した『逃げ上手の若君』第143話。ーー右手が半分なくなってしまった(第137話のくじ引きの後遺症…ですね)下がり眉のモブキャラ君には、「五郎坊殿」の分まで生き延びてほしいと、思わず感情移入してしまいます。

 「青野原で名を高めたのは…」「土岐頼遠ただひとり」というのは、『難太平記』の記述によるものです(「青野原の軍は土岐頼遠一人高名と聞し也」)。
 『難太平記』とは、今川了俊が著した史書で、「『太平記』が土岐氏の忠戦ばかり描いて、今川氏の戦功を記さないことを批判している」(日本古典文学全集の頭注)そうです。了俊が子孫のために今川氏の家系や歴史を書き綴った書であればその批判はもっともな話ですが、『太平記』の頼遠アゲアゲに苦言を呈した上でなお、上記のように書き残したというのは、頼遠の戦功が群を抜いたものであった証左ではないでしょうか。

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 土岐頼遠の強さが比類であったことを、松井先生は奥州武士たちのやられっぷりをユーモラスに描くことで表現しています。
 ーー伊達行朝は「人間爆弾」をかわすのがやっとで陣を破壊され、結城宗弘は本気出して(?)黒目で斬り込んでいったにもかかわらず吹っ飛ばされ、不敵にうなじを狙った(『進撃の〇人』?)南部師行もやはり「人間爆弾」を喰らって「シィっ!」(これはおそらく❝Shit!❞の意)という惨状です。個人的には、宗弘がおじいちゃんっぽい軽さで吹っ飛ばされているのにウケてしまったのですが、いずれにせよ、無事だというのは彼らの戦歴と屈強さゆえでしょう。
 そしてここで、先に弧次郎との勝負に敗れた長尾景忠と上杉憲顕も登場します。憲顕は頼遠の強さがどのくらいであるのかを忠景に尋ねるのですが、「十度戦えば八度は敗ける」というその評価を聞いて、忠景の「改造」を中断することを決めます。ーーこういう細かな描写で、憲顕がパワー系武士ではないというのをさらっと印象付ける松井先生はやはりすごいなと思います。そういえば、憲顕に強い「恩義」を感じて本音を言わない忠景と、忠景の腕を手づから縫い付けながら忠景の本心を察する憲顕の姿には、変化を感じました。
 実験のモルモットとお家再興のための手立てという利害の一致が最初の二人でしたが、真の主従関係が芽生え始めているのかもしれませんね。そして、これからストーリーの大きな転換に向けての伏線が張られ始めている予感もします。
 一方で、桃井直常は亜也子(も、駿河太郎さんも)呆れるほどの「単細胞」で、雫が「桃井の騎馬群を引き離」す「方法」と言っていて、もはや〝作戦〟ですらないのが笑えます。この桃井に、頭が切れてクールな足利直義の護衛をさせようと決めた斯波家長の真意を私は知りたいです……。

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 ……と、ここまで、頼遠の強さばかりが目立ってしまいましたが、『太平記』によれば頼遠も無傷だったわけではありません。「土岐も、左の目の下より右の口脇、鼻まで鋒深きっさきふかに切り付けられて」とあり、顔に深手を負っています。
 長尾忠景ですら「十度戦えば八度は敗ける」という彼に、弱点はあるのでしょうか。『逃げ上手の若君』の頼遠のあの顔面でそうなるとしたら、顕家の矢でしか無理ということかもしれませんね。

 (史実のとおり、結局のところ前回書いたような、別の意味での〝バク〟でしか、彼に死をもたらすことができなかったということなのでしょうか……。)

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 第143話最後、1ページ使って白目を剥いて怒りまくる顕家というのが面白いです(皆さんは、単行本14巻を購入されましたか。「人物紹介」ページでも「余の華麗なる能力値が書ききれん! もう一回人物紹介を割り当てろ!!」と言って、白目を剥いて抗議しています(笑))。
 そうは言いつつ、第143話に限って言えば、顕家も「東夷」たちとともに戦いたいという、彼らしい意思表示と愛情表現なのではないかと私は想像しています。

〔『太平記』(岩波文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕


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