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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(144)土岐頼遠にも部下たちにも何かが欠けているーー北畠顕家や雫の父や兄にはあって、婆娑羅大名にはなかったのは「意地」だった!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年2月18日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 『逃げ上手の若君』第144話を一読して、多くの方は〝そんなところが気になるの!?〟と思われるかもしれませんが、足利天狗衆であることを隠している夏の去就がかかっているのを感じました。ーー夏は、高師直に許してもらうべく「手土産」を持って足利方に戻ろうと企図していましたね(第116話「U.N.K.1337」)。

 しかし今、実を言うと夏以上に自分の中で今後が気になるのが、モブキャラの下がり眉君だったりします。彼は、曇りなき瞳で玄蕃の問いに答えます。

 「主君が死ねと言えばそれが最優先さ 武士だから

 これに対して玄蕃は彼に背を向け、彼から距離を置いた場所で吐き捨てるように「あーあ やだな武士のこういうとこ」と、独り言ちます。……ですが、もしかしたら、傍らにいる夏に聞かせているのかなと思ってしまいました(玄蕃は夏の正体に薄々感づいているという線で私はとらえています)。
 私も玄蕃同様に、下がり眉君にかける言葉はありません。細かい描写なのですが、背を向けた玄蕃の背後で彼ははしゃべり続けています。ーーすでにどこかの段階で、感覚や思考が〝バグ〟ってしまったのですね。暴力と恐怖による支配で、それらを麻痺させることでしか、自分自身を保つことができなくなっていたのだと思われます。
 ーーそんな「常識外れな土岐」と「忠義という名の思考停止」に対抗できたのが、雅な「公家の意地」だったというのは痛快でした!

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 「奏でよ公家衆! 雅な戦を東夷どもに見せてやれ!!

 時行も奥州武士たちもびっくりの「ニョキニョキニョキ」な登場とド派手な衣装のこれって、昭和生まれのオバちゃんの私にはデジャヴが起きました(いや、きっと松井先生もこの世代なのですね)。……毎年大晦日の紅白歌合戦でお茶の間を盛り上げてくれた演歌歌手の小林幸子さんじゃん!?って思いました(爆)。


 ※小林幸子さんをご存じないお若い皆さんは、以下のサイトを参照ください。「ニョキニョキニョキ」感をご覧になりたい方は、「小林幸子 紅白歌合戦 衣装」でYouTubeを検索してみてください(小林幸子さんの衣装は〝もはや「舞台装置」〟とまで言われていました〟)。

〔RENOTE/2023.01.29「小林幸子の歴代紅白衣装(装置)画像まとめ」〕


 また、「陵王」については、こちらのシリーズですでに紹介しておりますのでそちらをご覧になってください。


 「あはは あの公家バカだ

 ここで、先に武士に対する嫌悪を吐露した玄蕃を見つめた時とはまるで正反対の夏の反応が描かれています。
 優秀な天狗衆として高師直のもとで働いていた夏は、程度の違いがあるだけで、実のところ頼遠の捨て駒でしかない下がり眉君と変わらないと私は考えます。その夏が、こうして自然に笑ってしまったというのは、彼女を縛り付けていたある種の〝思い込み〟から解き放たれるきっかけとなってほしいです(下がり眉君にも何らかのチャンスが与えられてほしいのですが……)。

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 「皆で意地を張って盛り上がる」「どこかで見たと思ったら ああ この軍はお祭りだ」 

 雫は、故郷・諏訪の御柱を懐かしく思い出しています。「意地」と言えば、私も思い出すことがあります。ーー諏訪頼重・時継父子の最期の場面です(第109話「受け継ぐ1335」)。

 「神力で空元気を出してでも 楽しくめでたく晴れやかに天に帰る」「それが我々神としての意地です

 あらためて「意地」という言葉を確認してみると「自分の思うことを通そうとする心。」〔広辞苑〕とあります。公家の顕家にとってそれは、長い歴史の中で脈々と受け継がれた京の雅な「精神と文化」であり、現人神であり神官家たる諏訪氏にとっては〝人間を超える力で一族と領民を導いてきた自負〟によって培われた自らのアイデンティティといったことなのかもしれません。
 確かに頼遠は強い。しかし、彼自身にも部下たちにも何かが欠けているのがずっと引っかかっていました。のちに上皇にも狼藉をはたらく婆娑羅中の婆娑羅とも言える頼遠に欠けているものが何であるのかが、ここに示唆されているとも言えます。
 その点では、『逃げ上手の若君』の桃井直常は憎めないところがあります(桃井を挑発するのは策でも何でもないと思いましたが、「落ち込ませて」「戦線復帰させない」というのはなかなかの策です(笑))。桃井が自らの過失で落ち込む姿は情けない限りですが、そんな彼には成長や変化の可能性を感じさせるところがあります。斯波家長は、桃井の伸びしろと化けるかもしれない未来に賭けて、直義の護衛にしたいと考えたのかもしれませんね。

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 前回、古典『太平記』には「土岐も、左の目の下より右の口脇、鼻まで鋒深きっさきふかに切り付けられて」と語られていることをお話ししましたが、第144話では弧次郎が顔面に太刀を喰らわせたものの「シュウウウ」で終了しました(チーン)。
 弧次郎の太刀でダメだったというのは、これはもうきっと伏線なのでしょう。ーー頼遠が全身にまとう「分厚い鉄」の「装甲」をを破壊して彼の顔面に傷を負わせることができるのは、もはや顕家の矢しかありませんよね!

〔『太平記』(岩波文庫)を参照しています。〕


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