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「夢中になれるもの」がない時期にも、意味がある。

やっぱりちまちゃんは、何かに夢中になっとるときの方が、生き生きしとるよな。

と、母に言われて。

ここ数ヶ月、廃人だった私は「まあ、そうだよなあ。」と思ったのでした。


夢中になれる条件。

というのが、人それぞれあると思う。


私で言えば

 勝ち筋が見えること。
(できると思える)

自分のペースで進められること。

他人との協力プレーより、個人プレーであること。

不安が大きすぎないこと。

対人関係がストレスにならないこと。

だったりします。


これらには、最近まで気づけませんでした。

どんな時に、自分が真価を発揮できるのか。

を知らなかったからです。


やみくもに色々手を出しては、
「また出来なかった。。」を繰り返していました。

(とほほ


でも、「できたこと」と「できなかった事」を比べたときに

前述のような、夢中になりやすい条件が浮かびあがってきたんですよね。


チームプレーの部活(バレーボール)では、勝ち負けにさほど頓着しないのに

個人主義の「マラソン」や「勉強」など、

自分のペースで全てをコントロールして進められる物事の方が、やる気が高まりやすかったり。

人間関係に不安のありすぎる場所では、萎縮してしまったり。

自分が「人よりも遅れている」と感じる分野では、どうしても引け目がでて奥手になってしまったり。


やってはやめて、を繰り返しているうちに、ようやく自分のコツを掴んできました。



何もない時って、とっても退屈に感じます。


退屈で、心が窮屈で、無意味さを感じている時間は、やがて痛みにもなりえます。

自分の人生に、希望をもてないときって、すごくしんどいですよね。


ゴロゴロと岩のように、各所にぶつかっては砕け、別の方向へ転がってはぶつかり、を

繰り返していた期間は、

自分でも何をしているのか分からず、なぜか「しっくりこない」感をずっと味わっていて

苦しんだ時期だったけれど、

それがあったからこそ分かった自分というのも、あるのかなと思ったりします。


何でもできる、と思っていた時代は

実際に何に手をつけたらいいのか、分かっていませんでした。

自分が何に向いているのか、さっぱり知らなかったからです。


でも、大学に入り、自分の意思で全てを選ぶ「自由すぎる」環境に入って初めて

選ぶことのむずかしさを知り、

何にでも手を出してはつぶれ、元気をなくし、また手を出しては小さくなり

を繰り返していました。


そんな時期も、むだではなかったのかな、と思います。


わたしの場合、「全てを試してから決めたい」という思いが、強くあります。

4着の半袖と、4着のズボンがあったら「4×4=16」の、全ての組み合わせを試してから

最善を選びたいと思ってしまう、面倒くさいタイプです。


だからこそ、

一途に何かを突きつめる方がホントは好きだけど、でも突きつめる何かは徹底的に試して選びたい。

と思う私にとって、

自分を知るための「色々お試しぶつかり期間」は、必要だったのかなという気がします。


何が言いたいかというと

やっぱり自分をよく知って選ぶのが、安心できるし
試して出来なかった期間もムダではないし

全ては自分を知るために活用していけたらいいな。

という話でした。


それでは新しい週、また気をとり直して、進んでいきましょう。

ちなみに最近の私が夢中になれることは、Youtubeのリニューアルで、またお伝えできたらと思います。☺︎


それでは今日も、素敵な1日をお過ごしくださいね。

おわり。✌︎

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