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◇7. 絵本は文化を知る窓になった

図書館の仕事の日に毎回4,5冊デンマーク語の絵本を持ち帰り、夫に読み聞かせをしてもらって娘の反応と夫の感想をメモる日々。デンマーク語の絵本は自分でもそれなりに理解はできるけれど、読み聞かせはネイティブの夫にしてほしいと常々思っていた。声を出して読むとき、どこで抑揚をつけるのか、どこで盛り上がるのか、それを言語のハンデなく1回目からさらっとできるのはわたしではなく夫だろうと思っていたからだ。

その代わりわたしは日本語の絵本を娘に読んだ。デンマークに住んでいるとそうそう日本語の絵本は手に入らないので(数年後に図書館で借りられるようになるけれどそれについてはまた回を改めて)、娘が0歳の頃から日本へ帰省するたびに少しずつ買い集めていった。産後まだ言葉を話さない娘と長い長い時間を過ごすなかで、絵本を読んでいるときは娘と〈一緒に過ごしている〉という感触があった。

娘が6か月ごろから少しずつ読んでいたように思う。ページを開いて絵を指さしながら短い文を読むと、娘はいつもそこ描かれた絵にくぎ付けになっていた。小さい子向けの絵本は毎回あっという間に読み終わってしまうけれど、最後のページを閉じた瞬間、「もう一回」というリアクションをするようになるまでそんなに時間はかからなかった。そうして何度も同じ絵本を読んだ。

毎日夕飯が終わると、夫とわたしは交代で絵本を読んだ。夫はわたしが図書館で借りてきた絵本を、わたしは日本から買ったりネットで注文した絵本を。読まない方が夕飯の片づけをし皿を洗う。そうやって何年も毎日3冊ずつ読んだ。

娘が3,4歳ぐらいだったか、年齢は忘れてしまったけれど、ある晩『こぐまちゃんおはよう』(わかやまけん作絵・こぐま社)を読んだ。こぐまちゃんの一日の生活が描かれている絵本で、最後にこぐまちゃんはベッド(ふとん?)に入って眠る。その最後の文はこうだ。

おやすみなさい おかあさん
おやすみなさい こぐまちゃん

このページを読み終えて、わたしは本を閉じた。すると娘が言った。


「こぐまちゃんはどうしておとうさんにおやすみって言わないの?」

たしかに「おやすみなさい おかあさん」としか書かれていない。
でもこぐまちゃんにはおとうさんがいて、他の絵本には登場している。
だからおとうさんに言わないのは、そこにおとうさんがいないから…?

「多分、おとうさんはお仕事かなにかでまだ帰ってないのかも」

ちょっと無理やりかな、でもわからないしなと思いながらそう言ってみたけれど、娘はすぐには納得しなかった。「おとうさんは今日はいないの?」という。

「うーん、わからないけど、日本はねー、おとうさんはお仕事が遅くまであることが多いから…」と、ここで日本社会の話をしてもさすがにわからないだろうなぁと思いながら説明する。

デンマークで暮らしていると、たいていは夕飯時には父親(がいる場合)が帰宅していて家族で一緒に食べる。こぐまちゃんシリーズを読んでもらう年齢ぐらいだと、子どもはたいていは8時台には就寝だろうし、両親揃って子どもに「おやすみ」というのが一般的ではないだろうか。家庭によっては子どもはおやすみを言った後ひとりでベッドに入って寝る。そんな生活しか知らない娘にとって、おとうさんが家にいない日が時々はあるとしても、いつもいないはずはないだろうと思ったのかもしれない。どうしておやすみって言ってあげないんだろう、おやすみと言ってもらえないおとうさんがかわいそうだと思ったのかもしれない。

逆に日本で育ったわたしは、この最後の文にまったくなにも疑問を抱かなかった。日本では寝かしつけはたいてい母親だし、小さな子どもが寝る時間に父親が帰宅していないのは珍しいことではない。わたしや妹が幼かった頃を振り返っても寝る時間に父は帰宅しておらず、仕事で疲れた母が寝かせつけをして先に眠ってしまっていた。だから娘の問いはとても意表を突いたし、よくよく考えるととてもおもしろいなと思った。


絵本に何気なく描写されていることがその文化や社会を表していることがある。その中で暮らしていると当たり前すぎて気づくことさえない、読み飛ばしてしまうような些細なこと。でもそれは文化をとても端的に表しているときがある。「おやすみなさい おかあさん」という、たった一文が日本で小さな子どものいる家庭の日常を表しているのだから。

日本の絵本だけでなく北欧の絵本でも、文化をよく映し出していると思えるものがいくつもある。この本はわたしがそれを強く感じた一冊だ。

"Baby sur" Ann Forslind

スウェーデンの著者Ann Forslindの0‐2歳児向けの絵本。デンマーク語では『赤ちゃんは怒ってる』というタイトルがつけられている。

積み木がうまくできなくて、あかちゃんはイライラしたり、がっかりしたりするのだけれど、遊んでいてふと周りにだれもいないことに気がつく。そのとき、この赤ちゃんが呼ぶのはだれだと思いますか?

わたしだったら何のためらいもなく「ママー?!」というのかなと思う。でもこの絵本では赤ちゃんは「パパはどこ?」と言う。そしてしばらくあちこち探したあとにキッチンのドアを開けるとそこにはパパが…!

"Baby sur" Ann Forslind

なんと料理をしているのだ。
このあと赤ちゃんはパパの作ったご飯を食べて、テーブルも顔もドロドロになって、そこでお話はおしまいになる。ママは一切登場しない。

この絵本を見たときは衝撃だった。赤ちゃんなのにママが出てこないばかりか、パパだけがしかもキッチンで料理をしてご飯を食べさせるという設定。そこでお話が終わるということも驚きでしかなかった。

でもこれを読み聞かせることになった夫は嬉しそうだった。赤ちゃんとママという設定が育児では様々な場面でデフォルトで、父親はまだまだ育児の日常ではマイノリティだ。だからきっと自分と子どもが出てくるだけのストーリーは新鮮でありまた身近で、嬉しかったのではないかと思う。

2つの言語と文化で育つ娘と数年後に生まれた息子に、わたしたちはこの後も毎日絵本を読んだ。そして絵本は子どもたちにとって2つの言語と文化の窓になった。

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