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サイババ体験談

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私が21歳の時に南インドで経験した出来事について書き残してみました。
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サイババ体験談 あとがき

サイババ体験談 あとがき

ある日プッタパルティでサイババのオフィシャルな組織の役員から

「ババの85歳の誕生日の記念に出版する体験談集に、インパクトのある体験談が欲しいので」

という趣旨で手記を頼まれたので、ビザの都合でタイで約1ヶ月間待機している間に体験談を書いてメールで送りました。

しばらくして、知らない間にその本が出てたので日本から送ってもらって、楽しみに読んだら没になってました。笑

出版された本を読んだ感想

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サイババ体験談⑫

サイババ体験談⑫

私は沖縄での暮らしの後、意識の降下とでもいうのでしょうか、本能的に実際の周囲のものや自意識を形成することがらとのつながりをどんどん切っていって、
余分なものをすべて取り払ったあとに残るであろう個人の私の核のようなものを見出そうとしていました。

それはいったんすべてを捨て去る作業でした。

手探りですから何も守らないように、保持しないようにという思いで、たとえ人に痛めつけられることでもそのプロセス

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サイババ体験談⑪

サイババ体験談⑪

ところが、いくつかのことはインドに行く前とは決定的に違ってしまっていました。

まず、自分の中に屈託が生まれました。

世界がすべて自分の中にある幻想であり、信用に値するものではなかったという体験の記憶を持ったままこの現象世界の中に戻ってきたので、
ではいったいこの世界の中で個人としてのわたしは何をよすがに生きていけばいいのかということが分からず、

虚無感と居心地の悪さと、それをこの世界の誰とも

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サイババ体験談⑩

サイババ体験談⑩

次に目が覚めて気がついたとき、機内はうっすらと明るくなっていました。
夜明けでした。

そして意識を取り戻すと同時に、私は自分のすべての感覚の日常感覚に戻っていることに気がつきました。

それこそまったく信じられない、奇跡が起こったとしか私には思えませんでした。

私の周囲のあらゆるものが、私とは別個のものとしてそれぞれのいとおしい独自の存在感を取り戻していました。

わたしはもう絶望的な孤独の中

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サイババ体験談⑨

サイババ体験談⑨

私はインドに来るまでの日常生活の中で、エゴをなくし、宇宙意識の導きによって人生をなめらかに流れてゆくことを心がけていました。
そしてそれは完成した、と感じ、あとは寿命が尽きるまで楽しく幸せに生きるだけだ、もう何があっても大丈夫、と思っていました。

ところが初めてのインドの地で個人としての自分がパチンとはじけてしまい、この宇宙意識そのものに自分自身がなってしまいました。

それは当然といえば当然の

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サイババ体験談⑧

サイババ体験談⑧

何もすることがなくなっても私は相変わらず超絶的な状態のままで、それはゆるぎそうになくて、いよいよ、困ったなあ、と思いました。

それまでの21年間の人生においては私は「宇宙意識」と中学生のころから呼んでいた、ある無形の意識に私のすべてをやらせていたので、自ら考えて何かをしなくてはいけない状況を避けることが出来ていました。

表面上は私が考えて行動したように見えることでも、私の内面においては宇宙意識

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サイババ体験談⑦

サイババ体験談⑦

その頃、空港ロビーではまたちょっとした騒ぎが起こっていたと後で聞きました。

聞いたところによると、同じツアーの参加者の別の女性が錯乱して騒いだあと、空港のトイレに閉じこもったところを力づくで引っ張りだされたりしていたそうです。

私も「おかしくなった人」だったので、飛行機の機内ではその彼女とまとめて近くに座らされました。

飛行機の中では通路に挟まれた中央の席の、4つ並んだ左端に座らされました。

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サイババ体験談⑥

サイババ体験談⑥

私がそのように突然パチンと切り替わった時、周囲の人々は心配して、気功のできる何人もが手をかざして気を送ってくれたりしました。

というのは、私はシビレてしまって、床に座り込んでほほえんでいたからです。
つまり、おかしな病気になってしまったと、みんな思ったのでした。

私も、周りの人たちに「ちょっと具合が悪くなって」などと言いました。
でも、至福で頭はパカっと開いていました。

みんなを心配させて、

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サイババ体験談⑤

サイババ体験談⑤

チェックインもセキュリティチェックも終え、ロビーで機内への搭乗を待つばかりになった私たちの上にアナウンスの声が流れました。

それは、わたしたちが乗るはずの飛行機の到着の遅れを告げるアナウンスでした。
早朝から起きていてすでにくたくたに疲労困憊していたツアーの人々の間から怒りの声が口々に上がりました。

私はというと、ツアー前に見たインドが舞台の日本映画で、同じように飛行機の遅れで人々が不満を漏ら

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サイババ体験談④

サイババ体験談④

ツアーのインド滞在最終日は忙しくて、私は水を飲んだり買ったりするヒマもありませんでした。

泊まっていた部屋の掃除をして、とにかくみんなに遅れないように荷物を持ってバスに乗り込んで一息つくと、手持の水がペットボトルの底に1~2センチほどしか残っていないことに気がつきました。

これではその後数時間のバスの移動中の飲料水2人分(母と私)としてはとても足りないし、その時点ですでに私は何時間も水分を口に

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サイババ体験談③

サイババ体験談③

サイババ体験談③
ダルシャン中には何度か印象深い出来事もありました。
ダルシャンを与えているババを見ていると、「私が帰依者だ」という言葉がどこからか私の脳裏に浮かび上がってきて、それと同時に非常に深い会得した心理状態になりました。

しかしその時、私は「帰依者」という言葉の意味を知らず、後でそれが何を意味するのか知りました。

また、ダルシャンの前に長時間座っている時、風に揺れる木々の葉を眺めてい

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サイババ体験談②

サイババ体験談②

この時のツアーは飛行機をチャーターしてのもので、大人数が参加していました。
成田空港で飛行機に乗り込む時間になっても私は甘栗をイスに座って食べていて、
全て食べ終わってから行ったので、私と母は最後の乗客でした。

最後に行ったわたしたちは搭乗口でなぜか花輪のようなものを首にかけられて、関係者と記念撮影をされた記憶があります。

チャーター機ですから、飛行機の中での映画上映もサイババに関するものでし

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サイババ体験談①

サイババ体験談①

サイババ体験談①
OM SRI SAI RAM

自己実現への扉であり、扉の向こうの実在でもあるバガヴァン シュリ サティア サイババ様に つつしんでこの手記を捧げます。
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私が初めてインドを訪れたのは、1995年の7月のことです。
母がプッタパルティのババのアシュラムで行われるグルプールニマと世界音楽祭に参加するツアーに申し込む時、私

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