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美学を貫き、破天荒に人生を享受しつくした祖母について

【5月27日追記】祖母の告別式を終えての感想を最後に追加しました。穏やかな愛情溢れるような家族では全くありませんでしたが、こんな屈折した愛情の形でもこれはこれで悪くないのかも、と告別式を終えてこの何日かで振り返り、初めてそう思えました。

段階的に自分の過去を模索しながら受け入れてきたこの何年かでしたが、この祖母の死はそんな私にとって、なにか大きなターニングポイントになったような気がします。

昨晩遅く祖母が亡くなったという報せを受けました。


大正生まれの102歳。辰年生まれの、凛として気位が高く気が強く、生涯現役の女であることを貫いた、まさに女傑という言葉がしっくり来るような人間でした。

私にとっては、決して世の中一般的な可愛いくて優しいお婆ちゃんではなかったけれど、その生き様は女として人間としてあっぱれなことばかりで、そんな祖母の孫として生まれたことが、今となっては私の大きな誇りです。



大佐の娘として我儘なお嬢様として育ったのに、戦後に多くを無くし、夫も早くに亡くし、女手一つで娘二人を育てた祖母。

かといって悲壮感とはまるで無縁で、畳に板を敷き詰めて人を招き、しばしばダンスパーティーに興じていたという不良未亡人っぷり。

80くらいのときには、能を教えていた一回り歳下の男性と交際し(妻子持ちだったがなんと奥様公認)、しかもその後その方が亡くなると、お葬式にしっかり出席して「大変お世話になりました」と奥様にご挨拶さしあげたという仰天エピソードも。


こんな破天荒な人ですから、たしかにその娘であった母が苦労させられたことが容易に想像できます。私が長らく苦しめられてきた自殺衝動も、辿ればこの祖母が大きな原因であることは紛れもありません。

でも、長らく受け入れることを拒絶してきた、自分の中にも脈々と流れるこの〝業〟の強い血を、最近になって受け入れ愛することが出来るようになったことで、私は暗闇から脱することができました。


間に合ってよかった。


しかしそうはいっても、実は私はほとんど特養にも病院にもお見舞いにもいっておらず、薄情な、決して褒められた孫ではなかったことをここに白状いたします。



ほんの少し前まで、「足腰がなまる」と鬼気迫る顔で手押し車を押しながら院内を歩き回り、最期まで意識も明晰だった祖母。


この数週間ほどで急に容体が悪くなったようですが、目も見えなくなり、耳も遠くなり、好奇心の塊だったのにほとんどやることがなくなっていたことで、これが潮時と感じたのかもしれません。


以前母と祖母の赦しのエピソードを書いたのですが、あんなに気位の高い祖母が、足繁く病室に通う母に「ありがとう」と感謝を伝えていたとのこと。


生命維持装置に繋がれたり、誰かの世話になって周りに負担をかけるのは、祖母にとって本意ではなかったのでしょう。

最期まで自分の美学を貫き通した人でした。

そんな強烈な祖母でしたので、お見舞いに行って変にいたわりの言葉をかけることがはばかられ、この同じ空の下のどこかで元気に生きているのを感じているくらいがちょうどいい、と思っていました。


そして、その時が来ても、淡々粛々と受け止められるはずと。


しかし、いざこの瞬間が来てみると、立ち上ってくるなんともいえない空虚さに、寂しさに、戸惑います。



一般的には、こんな褒めてるんだかけなしているんだかよくわからないような投稿は不謹慎と受け取られるかもしれませんし、祖母が読んだら「何を晒しているの」と怒られるかもしれません。


でもきっとあの祖母のこと、一通り怒った後に、「私を褒めてるんならまあいいわ」と満更でもなく感じてくれそうな気がします。


これが、良くも悪くも常識を逸脱していた祖母に対する私の弔いです。



○ ○ ○ ○ ○ ○


おばあちゃん、最高に面白い生き様を見せてくれてありがとう。


おばあちゃんからの血を大事にします。隔世遺伝で顔も似てるし。


天国でも大暴れしてね。


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【5月27日追記】

先日、無事告別式も終えました。


祖母のとんでもエピソードの数々を懐かしく思い出して談笑しながら、お坊さんを呼ぶ代わりに祖母が唄うホラーのように音割れした能の謡のテープを流し、身内だけで超テキトーに故人を偲ぶという、しみじみさのかけらのない式でした。

葬儀屋さんもさすがに呆れていたかもしれません。



しかし、これはこれでなかなか悪くないと、こういう愛情の形もあるんだな、と思えたのも事実です。


祖母に翻弄され、傷つけられ、迷惑をかけられた日々をみんなで懐かしむ。

全力で憎んだことも多くあったけれど、同時にその強烈な性格に面白みと愛着すら感じてしまう。


我儘で、超合理的、しかも薄情な人でしたが、私を含め家族が見事に同じ血を受け継いでいることを自覚した瞬間でもありました。

見事に屈折した家族です。


段階的に自分の過去を模索しながら受け入れてきたこの何年かでしたが、この祖母の死はそんな私にとって、大きなターニングポイントになりました。

以前の投稿で「赦しあうこと」について書いたのですが、私たち家族もそれぞれの形で「赦し」を進めたのかもしれません。


※キリストダンナがvoicyでも触れていますので、こちらもよろしかったらどうぞ。



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