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あなたの自己表現の形を探すヒント-様々な人の「心の自己表現」集-

「自己表現」とは何か

 

ここでは、自己表現を「自分の内面の思いや意識、感情,感じ、情熱、考え方、フィーリングなどを、ことば、動作、表情、演技、スポーツ、作品の製作、芸術活動などのさまざまな方法で、「ありのままの自分自身を表に出していくこと」という意味で使っています。 

 考えてみれば、「今、ここにいる私」の言動や一挙手一投足は、すべて自分の心が形として表に現われたものといえます。自己表現が「今ここでの自分を生きること」と同じであることに気がつけば、私たちは「自己表現」を積極的にしていくことで「よく生きる」ことができ、「心の豊かさ」を感じることができるでしょう。自己表現することは私たちの基本的欲求を満たしてくれます。

 そして、「自己が表現されたものは人を感動させる。仕事の成果でも、芸術作品でも、論文でも、あるいは人物でも,表現の仕方は異なっても、そこに自己が表現されていれば、人は感動する。」(「自己表現力をつける」海保博之著)ということができます。

 ここに集めた言葉は、ちょっと古いですが、主にいろいろな新聞に掲載された有名人、無名人の自己表現に関する記事から抜粋したものです。いずれも、あるがままの自分をどんどん表に出している、元気でエネルギッシュなものばかりで、私たちにもエネルギーと勇気を与えてくれます。また、あの人がこんなことを!という以外性も。ぜひお楽しみください。

 なお、出典は、主に、Y:読売新聞、N:日経新聞、A:朝日新聞、M:毎日新聞、S:産経新聞、H:北国新聞、その他です。その横の6ケタ数字は、西暦の下2ケタ・月・日を表し、「夕」は夕刊の略です。また、個人の肩書きは、当時のものをそのまま使用しています。

 1 さまざまな「自己表現」

「役者も絵も、つまりは気持ちのまんま」「絵を描くことも、演じることもそして自分が人間としてどう生きるかということも全部いっしょだったとしみじみ思うのです。」(片岡鶴太郎 俳優 H990322)

「日本画とヨーロッパの絵画は表現が異なっていても、人の心を映し出すという点では同じです。形式ではなく、表現する心が先です。」(守屋多々志 日本画家 Y990525)

「(小栗康平監督から)役を作るよりも、自分の人生を反映させて演じなさいと教えられてから、自分らしくていい、自分自身でいいと想えるようになった」「ユニークな役を探しているつもりが、最近はなにを演じてもユニークになってしまって」(松坂慶子 俳優 Y980513)

「形式から解き放たれて書いている。結局、書というのは、今生きている自分の命の軌跡を筆に託して残すことじゃないか」(堀井聖水 書家 H980805)

「(知的障害者たちの創作活動は)言葉にはできないが、表現したくてしようがない気持ちを絵や粘土にぶつけ、ものすごく面白い造形や鬼気迫るメッセージがある。今まで福祉の面でしか語られてこなかったが、彼らの作る姿こそ、芸術表現だと思った」(佐藤真 映画監督。知的障害者の創作活動を記録したドキュメンタリー映画「まひるのほし」を製作。Y990123)

「彫刻科の担任であった建畠覚造先生に、何故ぼくには彫刻がわからないのかと質問した。(中略)。建畠先生は僕の質問に苦笑しつつも、『ひとりの表現者が、彫刻なら彫刻を通して、表現したいことの徹底した追及ができたなら、構図がどうとか、テクニックがどうとかに関係なく、それは人を感動させるであろう。』と答えてくださった。」(小室等 歌手 N980419)

『自己PRやプレゼンテーションというと、みんな判で押したようにロジックにこだわり、理屈を積み上げて相手を説得しようとしますね。たしかに理論武装は大切ですけど、もっと大事なのは感性なんです。心の叫びを言葉にして伝えることです。』(杉村太郎 就職指導塾我究館館長 CAT99年5月号)

2 自己表現の欲求

「自分を表現するのが基本的に好きみたい。芝居をしていないときが続くと、何かせずにいられなくなるの」「自分の表現方法にあてはまる場所だったら、どこへでも出掛けたい。」(宮沢りえ 俳優 H980626夕)

「もっともっと日本歌曲の道を精進し、大きな会場、小さな会場ともども聴衆の皆さんにゆったりと聞いていただきたい」(片岡のり子 声楽家 H)

「歌人が文学者なら、歌詠みは文芸家。簡単に言えば歌を詠む芸人。素人さんに喜んでもらって、なんぼのもん。自分の場合、関西人気質でしょうか、笑ってもらうのが一番うれしい。」(寒川猫持 歌詠み H990329)

「書くことは自己表現の一つ。文章に自分が出てしまうのは面白いし、難しいけれど、書いたものはだれかに読んでほしいですね。」(佐久間孝子 主婦 A980830)

「同世代の友人と、ロック音楽を語り合うように書道を語りたい。文字が読めなくても関係ない。大きな筆(身の丈大)を扱うときの足の運び、表情、息づかいを感じてほしい。それ自体がぼくの美術表現なんです。」(横山豊蘭 演じる書道家 N990612)

「(女優人生50年に)そんなに経っちゃたのかなぁと、驚いています。女優になりたかったわけではなく、人見知りする性格の自分が、よく人前でやる仕事をやってきたものだな、と。そんな性格だからこそ演技を通して、自分を表現したかったのかなとも想います。」(香川京子 俳優 H990404)

「自分の作った料理でみんなの喜ぶ顔が見たい」「園児の喜ぶ顔が見られる満足感とともに、子供が急速に成長する重要な時期の食を任されている責任も感じています」(児玉幸信 保育園調理師 N980130)

3 「自己表現」する手段

「僕は表現者ということが好きなんです。表現の方法が武道であり、絵画であり、そして今、一番手っ取り早い方法が演劇なんです。そして常に透明感のある表現者でいたい。喜劇だろうが、時代劇だろうが、役に限定されることなく、取り組んでいきたい」(榎木孝明 俳優 H980529夕)

「私にとってピアノは表現の道具。自分が何を感じていたか、ピアノを弾いて初めてわかることがある。」(加羽沢美濃 コンポーザー(作曲家)・ピアニスト A981209)

「小説だけが作家の仕事ではない。インタビューも講演も手記もエッセーもルポも、すべてが文芸の領域だと思っています。」(五木寛之 作家 H980414)

「高校を終え、リュック1個を持ってドイツ、フランス、イタリアへ数年留学した。そこで私は一体、どこから来て、どこへ行こうとしているかが何となく分かったんですよ。」「東洋の古典から過去を学び、西洋の演劇人類学から現在を考え、それらを合わせて古くて新しいグローバルな未来をつくる。つまり形を変えながら心を伝えていくことです。」「その方法として踊り、言語、仮面、歌、物まねを考えています。人間の無意識な部分を引き出すツールです。これを使って人間の奥底にある本音という琴線に触れて、喜怒哀楽を呼び起こし、それらを基に新しい形をつくっていくわけです」(野村万之丞 総合芸術家 H981121)

「『自分って何だろう』って考えた末、私以外に身代わりが利かない仕事を探した。それが女優だったんです。」「私は、声の仕事も歌もパーソナリティーも、それぞれ誇りを持って取り組んできた。」「国府田マリ子、という表現者がいて、その手段として、声優や歌手がある」(国府田マリ子、 声優 Y980313)

「私自身、かつて小説から与えられた強烈な感動が今でも忘れられないでいる。これだけ若者の活字離れが叫ばれている中で、あえて若い世代へ向けた小説を書き続けようとしているのはその理由からだ。この世には言葉を紡ぐことによってしか表現できない種類の感動があると、そう信じているからである。(村山由佳 作家 Y980830)

「ほかにも映画や写真や音楽、自己表現の手段を様様に選べる時代に育ちましたが、今の気分を性格に伝えるには、やはり小説という言語表現しかない。そういった思いにたどり着いたのが五年前です」(鈴木清剛 作家 Y990728夕)

詩を書くことで自分の人生観や社会観などがはっきり見えてくる。詩集にすれば一つのテーマについての考え方がまとまる。イベント開催も別の形の自己表現手段(詩を基点に絵画やエッセー,小説、など自己表現の分野を拡大中)(古屋久昭 N981018)

「大乗仏教は欲望を肯定しながら悟りを目指す。欲望を捨てよと教えたそれまでの仏教とのギャップを、大乗PRの書である般若心経は『色即是空』の『空』という考え方で解決した。人生を無条件で肯定し、楽しく生き抜こうではないか。そんな精神があふれているように思いませんか。目指すのは仏教をベースにした物書き。現代的な表現で語っていきたい。仏教の潜在需要はものすごくあると思います。人間の心全部を対象にしているのだから、おもしろくないわけがないのです」(野村春眠、マンガ般若心経入門作者、A000305)

「(大学時代は)もう野球だけで過ぎた4年間だったと思いますね。でも、やはり大学生ですから、就職とかその後のことも考える中で、いかに自分を自分らしくするか、ということも重要でした。それがたまたま自分の場合は野球だった。野球を一生懸命やるということ以外には、自分を表現するという方法がわからなかったですから」(青島健太 スポーツキャスター、新聞広告)

「踊れることだけで、生きている実感や喜びがあったように覚えていますね。踊ることは、私にとって自分を表現する方法。それは今も変わりません。」(石井清子 舞踊家 A970618)

「タンゴは物まねではなく、自分だけの踊りができるため、自己表現するにはピッタリ」(桑原和美 タンゴ教師 N990227)

「まず、ちまたではやっているものよりも自分に似合うものが基本。これを身につけることによって自分らしい表現ができるかを常に考えている。例えば、エルメスやゴルチエなんかでもそれぞれ個性があり、その中から、自分に似合うと思うものを選ぶ。他人の目よりも自分なりのこだわりを大事にします」(中村雅俊 俳優・歌手 A990608)

「家具やインテリアはすむ人の重要な自己表現」、「外出する時だけ服や化粧で自分を飾るのは本当のおしゃれじゃない。家や部屋を自分の趣味で整え、自分の世界を作る。その世界が自然にあふれ出す形で服なり持ち物なりに反映する。それが本来のファッションだと思うんです。」(青木むすび デコラトゥール N980228)

「ブランドは、自分がこうありたい、こう見られたいという自己表現の一つ」(辻幸恵 ブランド学研究家 A990510)

「私は、映画という道具で、私の考え、私の見たことを表現する。自分に正直に社会を見つめることが最も大事だ。今は、市場を意識したハリウッド映画が主流だが、私には、そういう映画は作れない。」「新作?現代の台湾の人々を描く作品を準備している。頭の中はいつも映画のことでいっぱいだ」(候孝賢、台湾映画監督、Y990707)

「生徒自身が楽しむ。それが重要だんったんですね。ダンスならダンスでいい。好きなことを追及していく過程で,知性を磨く。それが本当の勉強です。」(沖縄アクターズスクール校長 マキノ正幸 Y980509)

「(「着る」とは)自分という個性をどんなふうに表現するかということだと思います。ブランド物を着ていれば安心という人たちが多すぎる。それでモダンな女になるなんてとってもおかしなことです。自分と他人との違いが重要なんです。違いを表現しながら主役は自分なんだ、自分はこれなんだとそこを押さえて表現することが大事です」(森英恵 デザイナー 共同通信のインタビュー記事)

「お金をかければ、美しくなれるものではありません。何歳になっても「きれいになりたい」という思いを持ち続けることが大切なのです。簡単な方法が二つあります。一つは、靴を履いた自分の姿が見られる全身鏡や、三面鏡を持つこと。自分の体型を知り、自己分析する重要な道具です。もう一つは姿勢をよくすること。姿勢と歩き方次第で5歳は若く見えます。」(花井幸子、ファッションデザイナー、Y980525)

4 自分と出会う

「一時間くらい風呂に入るのですが、その日の出来事やあるいは未来のことについて、私の腹の虫が語りかけてきます。風呂に入っていると虫は必ずでてきて、そのときがいちばんくっきりとした姿をしている。それは私が私と対峙していることであり、私と私の対話だと思っています。(片岡鶴太郎 俳優 H990322)

「鼓を打つと、一瞬のうちにまったく別の世界に行けます。忙しい現実を忘れさせてくれるのです。」「浮世離れした趣味、と人に笑われましたが、私にとって、自分を回復する最も大事な時間なのです。」(多田富雄 免疫学者 Y980707)

「自分の気持ちを文章で表現することで、今何をしたいのかが明確になった。」(作家 吉永みち子 H990121)

5 わたし流自己表現

「ある日天然酵母を使ったパンがおいしいと評判の店に行ったんです。そこで買ったパンが本当においしくて。これだと思いました。」「自分の作品が毎日作れて、そのうえ、おいしければお客さんにも喜ばれる。やりがいを感じた。」「その日の温度や湿度、原料の小麦の収穫時期。そんなちょっとした条件の違いで出来上がりが変わってくる。パンは本当に奥が深い。」(N990308)

「こだわりは一にも二にもパスタ。一口目で“おいしい”と言ってもらえた時が一番うれしい。」「人に指示されるのは苦手。技術は積み重ねだと思ったし、自分の感性を信じていた」(大西要愛 イタリアンレストラン・女性オーナーシェフ N990412)

「何かを買った時、店の人の気持ちのいい応対に出会うと、品物についてだけじゃなく、『いい買い物をした』と思える。浮き浮きした気分にもなる。ところで、買い手にとって『気持ちのいい応対』は、売り手のどこから出てくるかを考えると、ひょっとすると、店員教育とか性格とか気分とかじゃなく、とにかく自分が売っている物を買ってもらったという、素直なうれしさからなんじゃないかと思う。うれしければ笑顔になるし、言葉だって温かいものになるだろう。だとしたら、嫌な態度を取るのは、人に何かを買ってもらってもうれしさを感じられないからかもしれない。『買ってもらううれしさ』を失うなんてさびしすぎるよね。(Y980530)

「日本舞踊と短歌は私の道楽ね。いま、私が全人間的に生きるための役に立っています。道楽をまじめにしておけば、身の内に沈んで埋蔵資源になります。」「いま、すごく燃えている。こんなに活力がみなぎっていることはなかった」(鶴見和子 1918年生まれ、80歳。社会学者 A980623)

「生きたあかしとして一句でも多く、俳句を作りつづけたい」(田邊孝子 無職。米寿記念で第二句集出版 H971219)

6 他者への発信

「私にとって音楽を作り出すことは、弱い自分、悩んでいる自分を見つめ、少しでもいい方向に前進していこうという自己確認の作業なの。そして自分に正直になることが、ファンを含め、ほかの人とのつながりを持てる最良の方法と思っています(アラニス・モリセット カナダのシンガーソングライター Y990220)

「自分を理解してもらうためには、すすんで自己表現を試みなくてはならない。言わなくてもわかることもあるが、言わなくてはわからないこともたくさんある。自分のことを理解してもらいたかったり、理解させようとするなら、それを言葉にしてみることだ。それを欠いたことで、とんでもない思い込みが横行したりする.人間は勝手な思い込みをする動物なのである。」(秋庭道博、コラムニスト H990125)

「人を本当に幸せにするのは、お金でもなく、制度でもなく、自分らしく生きているという充実感。未婚・既婚にかかわらず、この価値観を共有できる仲間を増やしたい」(松原惇子 ノンフィクション作家・シングル女性ネットワークSSS代表 N980525)

「『猫は文化だ!』と言い続けて二十年近くになる。気ままに悠々と暮らす猫を通して自然と人間を考えよう、とのテーマを掲げ、『にゃん友会』という団体を旗揚げして、数々のシンポジウムやイベントを開いてきた。」
「にゃん友会はあくまでも猫を通して人間社会をいかに心豊かに生きられるかを考える会。わずかな人数ではじめたこの会も、今では一万八千人の会員を抱える。にゃん友会の活動と同時に猫の墨絵を描き続けてきた。この墨絵でもまた、猫を通して人間にとって本当に大切なことは何かをかんがえているつもりだ。(中略)。好きなことをして自分を磨き、しかも人に喜んでもらうほど幸せなことはない。猫を通して一人でも豊かな人生を肌で感じてもらえればうれしい。」(中浜稔 にゃん友会会長 N980220)

「バタフライナイフを振り回す前に、言葉を発してほしい。これは本音です。若かった私は自分の言いたいことをうまく伝えられなかったために、拳を用いた。あなたは自分のモヤモヤしたものを言葉にできないから、ナイフを相手に突き立ててしまう。言葉も、拳も、ナイフも、戦争も、じつはみんなコミュニケーションの手段なんですよ。」(花村萬月 作家 H980817)

「この子ら(心身障害児たち)と付き合うなかで,私自身がずいぶん心を癒されてきた。このことは容易に理解してもらえなくて残念なのだが、本当にそうなのである。たとえば,満面に笑いをあふれさせて飛びついてくる子がいる。そのときの私の喜びや幸せな気持ちをどう表現したらいいだろうか。また、通いはじめで不安いっぱいの子供が私の胸に身をまかせてくれることがある。このときの私の気持ちをわかっていただけるであろうか。信頼してもらえることのありがたさ、喜び。私は心のうちで「ありがとう」と言う。」(徳田茂 心身障害児通園施設「ひまわり」教室代表 H990129)

7 「自己表現」と人生

「何かを獲得するために別の何かを捨てなければならないと考えるのは問題の立て方が間違っているような気がする。仕事をとるか、家庭をとるか、というふうに考えてはいけないのだ。自分の仕事がいくらうまくいっても、ともに喜んでくれる人がいなければ、むなしい人生になってしまう。反対に父親が自分の仕事に充実感を感じていなければ、家庭もうまくいかない。ただ、金を稼ぎ、家庭サービスをするだけの父親を、息子たちは尊敬してくれはしないだろう。人間として、あるいは、古い言い方だが男として、自分はこれだけの仕事をした、と誇れるような生き方をしたいと思う。自分の仕事を充実させながら、同時に子供たちと、いい友だちになれるように、努力を続けたい。気軽に言葉を交わし、食事や酒をともに楽しみ、家族として共通の思い出を刻んでいく。そういう時間を大切にしたい。」(三田誠広 作家 A990329)

「私は、余暇と労働、休日と勤務、というふうに、分けて考える時代はもうおわったのではないか、と思っている。それがいわゆる仕事であれ、趣味であれ、ボランティアであれ、なんらかの形で自己表現ができる活動をすることが大切なのであって、活動の枠組みはどうでもいいのである。(中略)どんな場であれ、自分の時間を自分のために使い、それが結果として人のためになるような自己表現の方法が見つかれば、休日も人生も豊かになるはずなのだが。」(玉村豊彦 エッセイスト N970422)

「仕事や家庭から一段降りて、最優先したいものは何かを白紙から考える。それが私にとっての隠居の時間です。隠居にも二通りある。資産や蓄えがあって、そのあがりで自己実現のための道楽に打ち込むのが、本隠居。蓄えがなく、必要最小限のものは稼ぐけれども、自由時間を最大限確保する。それを素隠居と私は呼んでいます。私は素隠居。」
「現役のときは右肩あがりの生活を強要される。隠居すると縮小はあっても、拡大は在りません。冷蔵庫はだんだん小さくして、その日食べる分だけを入れ、服は5年ほど買ってないですね。クーラーはつけない。洗面器に水を入れて足をつけるだけで気持ちいい。忘れていた記憶がよみがえります。電気代も安くなりました。」(杉浦日向子、文筆業、Y990830)

「生の問題も、死の問題も、善悪、価値の問題も、納得して死にたいというか、生きたい。自分に残された時間はそう多くはないのですが、先人のさまざまな思想を原著で読むため、ギリシャ語とドイツ語も学びなおすつもり。できれば大学院にも行きたい。年寄りの冷や水と言われそうですが。五十三歳に成りましたが、自分の夢としては、六十歳くらいまでに全体的な納得を自分のなかで形づくって、それを核に生きてみたいのです。芝居をつくるにしろ、歌をつくるにしろ、旅をするにしろ。」(小椋佳 作詞・作曲家 A970517)

今は,芭蕉の句の世界を扇面に描いています。小さな扇面に,芭蕉の境地をどう表現するか、心を砕いています。十六歳で絵画の修行をはじめてから、もう七十年、いい絵を描きたい、今の思いはそれだけです。」(守屋多々志 日本画家 Y990525)

「四十七歳にして、新入生として東京音楽大学の門をくぐったのは1995年春のことでした。三十七歳の時、趣味で学び始めた声楽ですが、稽古を重ねるうちに、『いつか声楽家になりたい』という少女時代の見果てぬ夢が次第に大きくなり、ついに劇画家として積んで来た二十八年のキャリアを投げうち、音大受験に挑戦することになったのです。(中略)。人間は欲張りなもので、どんな生き方をしても何らかの後悔は残ります。でも、自分にとって一番恐ろしい後悔は、と考えてみると、やろうと思えば出来たのにやらなかったという後悔です。だから、いろんな夢を持って実現可能な夢に挑戦するのです。でも夢がかなわなくてもどうということはありません。しょせん人間は神の前ではちっぽけな砂粒に過ぎないのですから。挫折した時は『たかが人生』、でも一度きりなのだから『されど人生』、と思うことにしています。」(池田理代子 劇画家・声楽家 Y990615)

「私は、ほとんど休日というものを取ったことがない。一年中休みなく、仕事ばかりしている。(中略)。私はいろいろなことをやっている。農園を持って畑仕事をする。ブドウを育ててワインをつくる。文章を書いて本を出す。絵を描いて展覧会をやる。皿やグラスのデザインをする。テレビに出演したり、人の前で話をしたりする。旅に出かける。料理をつくる。レストランのメニューを考える。おいしい店で食事をする。どれも私にとっては、大切な仕事である。趣味ではない。(中略)。確かに私は趣味を仕事にしているところがあって、忙しいことは非常に忙しいのだが、自分でも遊びで忙しいのか仕事で忙しいのか時々分からなくなることがある。」
「いまの社会では、自分の時間を他人のために使うときに、人は忙しい、という言葉を用いるのである。自分の時間を自分のために使うときは、忙しいとは言わない。そう考えると私の場合は、仕事といっても、たいていは自分の好きなことをやっているのだから、遊んでいるように見えてもしかたがないのかもしれない。」(玉村豊彦 エッセイスト N970422)

8 高齢者と自己表現

「私、もう十分に生きたという気が全然しないんです。一番書きたいことも、まだ書けていない。もう一度学校に入って植物や地質の勉強もしてみたい。でも今は何といっても、山へ行きたい。まだ医者には止められているし、自分でも用心しているけれど、八月はどこかへ行くつもりです。大好きな黒部五郎岳か栗駒山か。奥多摩の高水山もいいなあ。」(田中澄江劇作家・作家、1908年生まれ、Y970719)

「一つのことができると、次は何ができるようになるかと楽しみでした。リハビリはつらいものでも痛いものでもない」
「障害者だから、病気だからこういう人生を歩みなさいというのでは、お互いが分かり合えない。それぞれの違いを認め、支え合う社会にならなければ。リハビリで魂が生き生きして、新しい私に生まれ変わったの」(鶴見和子 社会学者 1918年生まれ、Y000510)

「人間はいくつになっても才能を開花できる。若い人も私も同じ人間。ただ年相応の知恵を働かせる必要がある。」
「若い人にまじっているとまだまだ負けられんと思う」(谷晃吉 車椅子生活からリハビリ後64歳で空手初段 H980329)

9 自己表現と哲学

「僕は自作のデザインと絵画のスライドを映しながら『私』の表現について語った。『私』に徹することが普遍性につながるという話をした。近代合理主義のデザインは『私』を排除するところから出発したが、ぼくは近代ヨーロッパ主義が捨てた非論理、非合理,非言語的なものを拾い集める作業がそのまま『私』の表現であったことを主張した。」(横尾忠則 画家 読売)

「小説を書くという作業は、生まれて初めて、裸の自分と向かい合う体験といっていい。私小説はもとよりファンタジーのようなものでも、書き手の資質と個性がもろに出てしまう。
 小説を書くというのは、言ってみれば精神のストリップだ。恥ずかしがっていたのでは何も書けない。その恥ずかしさを乗り越えると、人は一皮むける。自分を客観的に見ることができるようになり、冷静になる。
 小説を書くというのは、自分を見つめることであると同時に、自分が生きている世界を把握することでもある。自分とは何かを考え、世界とは何かを考え、表現する。
 多くの人々は、せわしなく生き、いつのまにか年老い、晩年になって、この人生は、いったい何だったのかと考える。あるいは、考えるひまもなく、あの世に旅立つ人も多い。
 小説を書く人間は、人生の一瞬、一瞬に、立ち止まり、自分を見つめ、考える。苦しみも多いが、密度の高い人生だ。」(三田誠広 作家 A990204)

10 芸術とはなにか

「所要で四国の徳島へ行って、阿波踊りを一晩だけ見た。客席で眺めているうちは単調な踊りに見えていたのに、地元の人にすすめられるままに、身を列に投じて見様見真似で踊ってみると、なんとほとんど数秒後に心身のこわばりは解け、わが体内にたぎる血潮と同じリズムが、盛大な生バンドである鳴り物(三味線、笛、太鼓等)によって奏でられていることを発見するのである。
 このとき、すでに『踊る阿呆』も『見る阿呆』も消え、阿波踊りという名前さえ、消えてしまう。いわば体内に解消されてしまうのである。」
「翌日,鳴門の渦潮を見物に行った。《中略》。鳴門の渦潮に感じた心のどよめきは、まさに,阿波踊りに感じたそれと同じであった。どちらも私には生まれてはじめて、未だ名前のない新しい感覚だったのである。こんな、名前のないもの、名前のない姿、名前のない感覚、を名前のないままに目に見えるものとして提示することが、思えば、私の絵の仕事である。」(堀越千秋 画家 Y971105)

「(知的障害者たちの創作活動は)言葉にはできないが、表現したくてしようがない気持ちを絵や粘土にぶつけ、ものすごく面白い造形や鬼気迫るメッセージがある。今まで福祉の面でしか語られてこなかったが、彼らの作る姿こそ、芸術表現だと思った」(佐藤真 映画監督。知的障害者の創作活動を記録したドキュメンタリー映画「まひるのほし」を製作。 Y990123)

「少なくとも、よき職人、技術者であろうと努力しなかった日は一日もない。芸術家であるかどうかは後世の人の判断でしょう」(松田権六 漆器作家。昭和61年没 )

「自分以外の力によって突き動かされている、と思える瞬間が人にはある。私がその力を最もよく経験するのは、絵を描いているときである。その力は気まぐれな『風』に似ている。色を置いたり削ったり、ときには思い切って絵を壊したりしながら、私は辛抱強く風を待つ。そのうち運良く風が吹いてくれれば、それに後押しされて一気に作品ができてしまう。」(西山彰 洋画家 H990409)

「もしかしたら、芸術はもう存在しないんじゃないかと思うこともあります。人間関係は希薄だし、生活はあわただしい。みんな符丁だけで生きている。通りすがりにきれいなポスターがあればそれでいいみたいな感じでしょう。絵画も彫刻もデザインと一緒になっている。モードでしかないんですよ。でも、こんな時代だからこそ絵画が必要なんじゃないか、人間性の最後のとりでが芸術なんじゃないか。死んだ仲間たちの絵を見ては、そう思い直しているんです」
「『長いこと絵ばかり描いている、よく続きますね』と学生が言うんですが、うまくいかなかったら職業を変えようとなんて考えたこともない。抜き差しならない所で絵を描いているのが絵描きなんですから。」(野見山暁治 元東京芸術大学教授・戦没画学生慰霊美術館「無言館」顧問 Y990622)

「写真家は時代の映し鏡。面白い人やものに寄っていって、それを撮らせてもらっているだけ。いつも目からうろこを落として、わくわくできるようにしておいて、時代に併走しながら面白いものを撮りつづけたいね。」(篠山紀信 写真家 H990524)

11 絵画による「自己表現」

「絵かきとは修道僧のようなものだと思いますね。アトリエという修道院で、日々、絵という神に祈りをささげる修道僧。何のために絵を描くのか。いま生きていることを、その時々の心の状態を、かたちにすること以外にない。僕にとっては、日々の祈りなんです。作品を作る意識とは違う。日記のようなもの。どうすれば人間らしく生きていけるか。僕が考えているのはそういうことです。」(本宮健史 画家 Y000507)

「手を動かして自分で引く線が、あるバランスのなかで次の線を呼ぶ。こうしよう、とする前に自分以外の者の力で線が引かれていく。それまでは、新しいことをせなあかん、初めての切り口を示さなあかん、という感じで自己主張を意識し、立体や半立体まで試みていた。
 そういうがんじがらめのものは、長続きしないわけです。もっと自分の感覚でいいんじゃないか、木炭なんかでボッと線を引いたら面白いんじゃないか。そう思ってやってみたら、ああ、面白い。手で描くという一番原始的な方法が一番面白い。自分で描いているのに、予想もしない新鮮な線があらわれる。生み出すんじゃない、生まれてくるんだ、宇宙の摂理に抱かれているんだ、これが私のものだなんて主張しなくてもいいんだ、ということに気がついて気が楽になったんです。」
「何々をやらねば、ではなく、自分のやりたいことを掘り下げればいい、とわかったとき20代が終わった。」(失念しました。すみません Y000514)

12 言葉による自己表現

「私にとっての書くことの意味は、人間を理解するということでしてね。書かなければ見えない。書くことによってわかってくるということがあるんです。それだけですね。今は。」(佐藤愛子 作家 Y981208)

「自分の内側を表現するというより、僕自身がメディア・媒体となって、現代を反映させる作品を書いていきたい。」(重松清 小説家 H990515)

「言語表現でありながら韻律により,音楽性を帯び、詩的象徴性ゆえに『私』の記述を他者の共感にする31音の定型詩の作用をずっと面白いと思ってきた。」
「日本人の心に入り込み、文化そのものとなった短歌という文学の小宇宙を考えてみる場を作ってみたかった」(川上隆志 岩波書店「短歌と日本人」全7巻シリーズ担当者 A981127)

「もともと物書きになりたかったけど,あんまり長い文章は面倒。俳句もやったが、これはすきがない。下の七・七が付くだけで、短歌はずいぶん遊べるんです。」(寒川猫持 歌詠み H990329)

「短歌はすごく身近な小さな感動からも生まれます。『あっ』と思った時に、ちょっと立ち止まる時間が持てるっていうのは、歌を作っているからだと思います。短く表現するためには、言葉を選び抜かなければいけないから、厳しくて刺激的なんです。言葉が浮かんでも、すぐに決めないで、心にぴったりくる言葉をさらに探します。そのためには、知らない言葉は使えないでしょ。だから、私は自分の『言葉の貯金箱』がいつも一杯になっているように心がけています。」(俵万智、歌人、Y000206)

13 書道による「自己表現」

「感動を線という形で定着させる書とは自分にとって生き方そのものだと思うようになりました」(堀井聖水 書家 H980805)

「書きたい言葉を、書きたいと思った時に、自然に手が動いて書く。これが書家の美学じゃないでしょうか」
「へたに型にはめるよりも、文学を深く読み込んだり絵のスケッチをしたり、時にはカラオケだって大いに刺激になる。書は、そうした要素を含めた複合的な芸術であっていい」(田島方外 書家 H971026)

14 音楽による「自己表現」

「ぼくたちはピーター(ピーター、ポール&マリー)に、フォークソングを演奏するにあたっての心構えや如何に、と問うていた。『自らに訴えたいものがあるなら、ハーモニーがどうとか、テクニックにどうとかに関係なく、それは人を感動させるであろう』とピーターは答えてくれた。」(小室等 歌手 N980419)

「いま考えると、十代のころは表現力がなく、演奏に対しても確信がなかったですね。もちろん、いまより指は動いていましたが。年齢を重ねる中で、すばらしい人と出会い、いい本を読み、泣いたり笑ったり感激したり、多くのことを吸収していき、そういうものが音となって出てくるのだと思います。そういった感情を込めて演奏することがお客さんにも伝われば最高ですね。
 感情を表現するためにはある程度のテクニックは絶対必要です。けれども、ただ指を動かしているだけでもなにも伝わらない、そこが難しいところです」(荘村清志、ギタリスト、産経新聞『話の肖像画』)

「そのときわかったんです。こちらの魂を相手の魂に伝えることこそが目的なのだ。音そのものは媒体に過ぎない。魂が伝わるなら音はなくたっていいのかもしれない。だから我々は耳の聞こえなかったベートーベンの音楽にも感動できるんですよ。」(千住明 作曲家 Y980225)

「(モットーは)いま一番弾きたい曲で等身大の自分を飾らずに映し、心に浮かんだ『何か』を確実に伝えること」(川島成道 盲目のバイオリニスト N981206)

「アルバム「大地のうた」は、自然や地球、空気など、自分の周囲にあるものへの感謝がテーマでした。今度(アルバム「自分への手紙」)は自分って何、という思いを飾らない音で描いてみました。(西村由紀江 ピアニスト A )

「太鼓の響きは命の鼓動につながるもの。ストレスなんていっぺんに吹き飛びますよ」
「太鼓はだれでも打てる。それでいて奥が深い。打ち手の気持ちを太鼓に乗せて表現できることが魅力」
「だれもが楽しめる音響芸術として、和太鼓の素晴らしさを世界中に広めたい」(角照美、和太鼓奏者、Y990914)

「生きるってことはすばらしい。それを伝えることが僕の作曲活動のすべてだ。」(吉田正 作曲家 A980612 追悼記事)

「意欲をかき立ててくれるのは、テクノロジーの進歩です。新機種が出たり、技術が開発されたりして、それまで出せなかった音が生み出せるようになる。それが無条件でうれしくて楽しいんですね。世の中の人に感動を与えたいとかは後からついてくる。子供がおもちゃで遊ぶように、僕も機械を操りつつ曲を作る」(小室哲也 作曲家 Y990623)

15 歌手の自己表現

「とにかく歌いたいという思いが(90年歌手復帰の)根っこにあったのですね。以前とは違った歌のメッセンジャーになれるのでは、と思うと矢も盾もたまらなくなって。
 復帰前に比べ、歌、ステージに対する姿勢が変わりました。こう言っては、昔のお客様に失礼かもしれませんが、今は年間百数十回のコンサートの、一回一回が真剣勝負です。自分で納得できるステージを、と決めたわけですから。
 ステージに立つと、お客様のエネルギーをもらって吸収し、お客様に放出する感じです。舞台と客席とで元気をキャッチボールしている、とでもいうんでしょうか。
 もちろん、台本も演出もちゃんとあります。ただ、ステージに乗ってしまったら、自分の責任で都はるみの世界を演じ、表現する。そこのところが根本的に変わった、と思っています。
 今は、都はるみ商店という歌屋になりきっていますから、声がかかったらどこででも歌ってみたい。野外コンサートなんかいいですねえ。」(都はるみ 歌手 Y980728)

「結婚、出産、子育てを経て,四十代に入って、音楽に対する思いは深く、強くなりましたね。年に百回以上もライブをしていたときとは違って、数は少なくなりましたが、今は歌うことがとってもうれしい。心身ともに調子が良く、若い頃よりも声が出るようになりました。入魂のライブをするつもりです」(太田裕美 歌手 A990427)

「人気のヒットメーカにはかなわない。今の音楽市場のニーズにかなったホームランはもう打てない。それなら、大ヒットを求められていないのを逆手に取り,自分がやりたい音楽を思いのままにやろう。」
「無理に若者ぶるのではなく、大人の等身大の姿を描いたポップスを待っている人は,少ないかもしれないが、必ずいる。」
「(3年ぶりのアルバム『ワン・ワード』では)自分自身の姿や感じたことを投影した。歌作りで、ここまで自分をさらけ出したのは初めて」
「下りる時には、上る際には気づかなかった周囲の景色も楽しめ、お茶を飲む時間もある。音楽家としても、人間としても同じこと。今後はそんな感覚で歌を作りつづけたい」(財津和夫 音楽家 Y981021 )

「前作(デビューアルバム『心のかけら』)では自分の身の回りの出来事をヒントに物語り仕立てにした曲が多かったが、今回は恋愛や人間関係、信仰などに対する思いを詞に託した。表題(2作目アルバム「スピリット」)どおり、私の魂がテーマなの。新作を作るのに4年近くの十分な時間があったので、音楽的にも、人間的にも成長した姿を表現したかった。」(ジュエル 米国シンガーソングライター Y99)

「当時はまだカラオケがなかったから歌を聞いてもらいながらお客さんの伴奏なんかもしてたんだよ、スナックとかでね。ある日若いカップルのお客がきて伴奏してたんだ。そうしたら彼ら“俺たち若い世代が歌う大阪を歌ってない”って。“じゃあオレ作ろうか”ってできたのが例の歌(「大阪で生まれた女」)ですよ。(BORO シンガーソングライター H990528)

「僕の場合、昔からそうですが、詞や曲が生まれるのは眠る直前が一番多い。一番いい歌が生まれる。意識と無意識の間でぼあーっとしていると、歌が訪れてくる。この眠る直前の意識の状態で、デリュージョン(妄想)を自由に遊ばせる時間が発明や創作にはいいんです。」(小椋佳 作詞・作曲家 A970517)

16 スポーツによる「自己表現」

「プロ野球にいる時は野球をいかに楽しむかということが、見えなくなっていたんだと思います。でも、人生の中におけるスポーツというのは一生楽しめるものですし、友達をつくるものだったり、健康作りの機能というのが本来、多くの人に役立っているもの。辞めるどころか、これから一生付き合えるのが、スポーツなんだと思いました。
 そういうスポーツの楽しみ方を教えられた時に、忘れようと思っていた、あるいはもう捨ててしまおうと思っていた野球のキャリア。これは捨てるものではなく、人にとって役に立つ体験なんだということに気がついたんです」(青島健太 スポーツキャスター、新聞広告)

「レースは勝ち負けではなく、結果が出るまでのプロセスの方が大事だと思っています。自分で手抜きしたり、競争相手の失敗で勝てたときもありましたが、心のそこからの喜びや満足感は味わえませんでした。反対に成績は悪くても、最後の最後までがんばったことで満足できたレースもありました。すべて完走したのも、お粗末な作品でも最善を尽くしたかったからです。」(君原健二 メキシコ五輪マラソン銀メダリスト Y980414)

「私が求め続けたのは、土俵の美です。鍛え抜かれた力士同士の技と力の攻防が、この土俵の美の源です。ライバル栃錦関と土俵にあがると、本当に闘志が湧いたもんです。いい一番だったとお客さんに感動してもらいたい、その一心でした。
 それには一にも二にも稽古です。稽古から生まれてきたものだけが本物です。(略)稽古をしていくと肉体がコンピュータのように自然に正確に動くようになるもんです。」(先代若乃花 Y990921)

「本格的に陸上に取り組み出すと、ランナーというものは芸術作品のように思えてきたのです。毎日の苦しい練習は作品を作るアトリエであり、レースは展覧会ではないかと。
 いい作品を作ることが生きがいとなり、努力を惜しむことなく練習に取り組むようになりました。」(君原健二 メキシコ五輪マラソン銀メダリスト Y980414)

「プロレスで学んだことは、一番に「自分をプロモートする」ことの大切さですね。つまり、自分で自分をどういうふうに相手に売り込むか。
 全日本プロレスに入ってすぐアメリカへ片道切符の武者修業に出たんですが、向こうはレスラー一人ひとりが個人経営者という感覚。自分が観客を魅了するようなファイトができない限り、使ってくれない。客が入らないですから。
 だから、どうやったらこの客がもう一度僕の試合を見に来てくれるかが、勝ち負けと同じくらい重要でしたね。(中略)。
 結局、強いだけじゃなく観客を魅了しないとだめなんです。強さプラス芸術性。いわば、アート・オブ・ザ・スポーツですね。(ジャンボ・鶴田 プロレスラー N981126)

17 寅さんの自己表現

「何も言わない、眼で言うね、おまえのことを愛しているよ。すると向こうも眼で答える、悪いけどあなた好きじゃないの。
 そこでこっちも眼で答える。分かりました、それじゃいつまでもお幸せに。そして背中を向けて黙って去る… それが日本の男のやり方よ。」(24 寅次郎春の夢)

「要するに女をつかむのは眼だよ。そう言ったって最初からジーッとこんなふうに見ちゃだめだよ。ノッケから色気違いと思われちゃうからな。
 だからね、なんとなくチラッと見るんだ。こういうふうにチラッと、流すんだ。すると女が頬っぺたのあたりにピリッと電気を感じる。そうすると女がチラッ見る。
 見られたなァと思ったらね、パッと眼をふせるんだ。そうしてうったえるように縋るような眼つきでジーッと見るんだよ。」(1 男はつらいよ)

「旅の者ですが、こうして通りかかったのも何かの縁、お線香の一本でもあげさせていただけますか。」(27 浪花の恋の寅次郎)

「ああ、嫌な世の中だねえ。」(8 寅次郎恋歌)

「よお!何だ、おまえ… まだ生きてんのか… いやだねえ。」(5 純情編)

「男っていうものはな、引き際が肝心よ。」(27 浪花の恋の寅次郎)

「今日も一日暮れていくかあ…。」(12 私の寅さん)

「…もし…十年、二十年たって、雪の降る寒い夜、寝つかれぬままに昔のことをお想いになることがございましたら、ああ、その昔、湯の山に、寅という馬鹿な男がいたっけな、とでもお想いになってください… ご免なすって。」(③フーテンの寅)

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