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「死」とは

 皆さん、こんばんは(深夜1時半に書いている)。

僕はきっとサイコパスなのかもしれない。

 今日はお通夜を終えてnoteを書いている。亡くなった方は僕の父の姉。父は6人きょうだいの末っ子で、今回亡くなった方は一番上だ。14歳も離れているのだとか。
僕が今付き合っている彼女は母を亡くした。そのショックは今でも思い出すのだそう。時々寂しくなって僕のところに電話が来るときもあるし、たまに泣くこともある。
その彼女に僕は寄り添えないでいる。大事な存在がこの世からいなくなるのは寂しい。まだ僕は家族や親しい人を亡くしたわけではないが、そういう人たちが亡くなるときっと悲しむだろう。だが、いったい自分がどれだけ悲しみを引きずるのかわからない。実際のところ、彼女がなぜそれだけ悲しみを引きずっているのかわからない。彼女の母の死因が影響しているのだと思うが、多分原因は何であれ僕はあまり感情は変わらないと思う。なんでだろう。

家族や大事な人とやり残したことはないから?いや、そういうわけではない。
別にどうでも良いと思っているから?いや、あるはずがない。あってはいけない。

いろいろ考えたうえで一番しっくり来たのは、悲しんでも何も起こらないから。
自分がこんなにサバサバしていたっけな…。サイコパスなのではなかろうかと心配になる。僕は昔、母からこんなことを言われたことがある。
「もうお母さんなんて何かあったら別に気にせんでええんやで。葬式とかええわ。自分の人生をちゃんと歩みなさい。」
この言葉をそのまま受け入れる自分はどうかと思うが、当時の母は本心でこれを言っていたと思う。それでなのか悲しみ続けても自分の人生は歩んでいけないと思ったのだろう。それが今の自分の価値観を形成しているのだと思う。

とはいえ、さすがにこういう人はレアだ。今日のお通夜でまわりの反応を見てみた。泣いている人は少ない。父のきょうだいにお通夜が終わって泣いている人がいたが、父を含めほかのきょうだいは泣いていなかった。ほかの参列者も。父のきょうだいは実母ももう一人のきょうだいも亡くした経験があったからだろうか。一番身近な存在を2人も亡くしているから衝撃も少なかったのだろうか。
わからない。

僕はお経を聞きながらなぜかずっと亡くなった方の写真を眺めていた。何を感じたというわけもなく、ただずっと。

皆さんは身近な人の死を経験したら何を感じますか?

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