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まるでそこは文字通り別の大陸


日本を離れない長期休みは大学に入ってから初めてで、なんだか心が落ち着かない。海で閉ざされた国に生きているという事実にひたすらに焦らされて、必死に外国との扉を探す。そんなわけで、せめて食だけでもと各国料理のレストランをめぐる生活を、年明けごろから始めている。今日訪れたのは吉祥寺『アフリカ大陸』。その名の通り、日本では珍しいアフリカ料理を提供してくれるレストラン。

赤と緑の原色で光る看板の横、矢印の先に存在する『パラサイト』を想起させるような階段に、みぞおちのあたりが少し冷える。螺旋状だから下は見えなくて、完全な別世界に誘われてゆくみたい。半地下の異国、薄暗い国境。境界線なんてものはどこにだって引くことができるんだな、そんなことを思いながら降りてゆく。

透明のドアの向こうにぼんやりと広がる茶色を基調とした空間。取っ手を押すと、彩度を上げた茶色い机や黄色いランプに目を奪われて、iPhoneで途中から再生してしまったときのような、盛り上がっている最中の音楽との邂逅に耳が驚く。いらっしゃい、という温かく大きなオーナーの声に、ああこの店は絶対にアタリだな、という予感が胸に渦のように湧き上がる。

通されて座ったのはカウンター席の一番奥の二席。渡されたメニューはライオンの赤ちゃんをモチーフにしていて、頭の中でライオンキングのテーマが流れ出す。写真とメモを切り貼りした、オーナー手作りのメニュー。1ページめくるごとに初見の料理と巡り合い、30秒に1回のペースで感嘆の声を漏らしてしまう。隣の彼女はガーナのメニューを指差して驚きと興奮に目を輝かせる。彼女の祖父母はガーナに住んでいるのだ。自分の祖父母が自分の母国とは違う国に住んでいて、ルーツを他国に持つというのは、いったいどんな気持ちなのだろう。隣に座っている彼女に隔たりを感じる、一瞬の心の揺れ動き。


結局注文したのはナイジェリアのアカラ(さつま揚げのような小さなおつまみ)、野菜と羊肉をごろっと焼いたガーナのケバブ、野菜と鶏肉をさっぱりしたソースで煮込みライスの上に乗せた、セネガルのヤッサギナル。どれも初めて食べる料理なのに、味はなんだか素朴で舌馴染みがよく、懐かしい感覚に襲われる。濃すぎない味と適度な辛さが、忙しない日々の疲れにほどよく滲みてゆく。先に食べ終わった友人は、嬉しそうに店内の様子をカメラにおさめている。


そのレストランに置いてあったある本に「料理は文化の翻訳だ」という言葉が載っていた。日本という限られた空間の中で、まったく同じものを生み出すことはできなくても、できる限り近いものを、その国への愛と敬意を存分に込めて作り上げること。それが、世界の料理を「翻訳」すること。オーナーは、このレストランの料理はぜんぶ現地の人から教わったレシピで作っているの、セネガルにお世話になった人がいてね、最初はセネガル料理から始めたのよと語っていた。調味料とか輸入が大変よ、と笑いながら。その笑顔の上には、きっと、その土地への愛と感謝を広めたいという至極単純で真っ直ぐで美しい想いが広がっていた。

わたしはずっと海の向こうのあらゆる国の文化に憧れて、言語とその思考方法に魅せられて、でもそれはただの「すき」でしかないと思っていた。わたしがわたしの中で消化していくためだけにある、そんな「すき」だと。でも、「すき」を還元する方法は、実は気づいていないだけでいくらでも存在しているのかもしれない。青いエプロンに身を包み小さなキッチンで料理をするオーナーの、黄色い照明に浮かび上がる後ろ姿が、目の裏に焼き付いて離れない。また行こう。

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