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マイルス・デイビス『 ブラックホークのマイルス・デイビスVol.2』のとある1曲「NEO」

本アルバムはハード・バップなアルバムだと思うのですが、なぜかデモーニッシュというか魔術的な1曲があります。レコード基準ですがB面の最後に収められた「NEO」です。MILES DAVIS,IN PERSON  SATURDAY NIGHTS AT THE BLACKHAWK, SAN FRANCISCO VOL.2の1曲です。ネオです

1.アルバム基本情報
マイルス・デイビスは
、ハンク・モブレー(テナー・サックス)、ウィントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ジミー・コブ(ドラム)らのクインテットで1961年4月にサンフランシスコのジャズクラブ『ブラックホーク』にてライブレコーディングを行います。

レコード基準で収録曲は、A面が①WELL YOU NEEDN'T(ウェル・ユー・ニードント)、②FRAN-DANCE(フラン・ダンス)、③SO WHAT(ソー・ホワット)。B面が①OLEO(オレオ)、② IF I WERE A BELL(イフ・アイ・ワー・ア・ベル)、③NEO(ネオ)です。なお今では、当時のセッションをもとにしたコンプリート盤がリリースされています。

2.本アルバムの録音にいたるまでの心境

マイルス・デイビスは自叙伝2(マイルス・デイビス、クインシー・トループ 著 中山康樹 訳 宝島社文庫、2000年)の中で複数の観点でこう言っています。

ハンク・モブレーがイマイチだったから、音楽に飽きがきはじめていた。」
ハンクとの演奏は、オレの想像力を刺激しなかったし、およそ面白くないものだった。そんなこともあって、オレは自分のソロが終ると、次の出番まで、ステージを降りるようになった。みんなはオレの演奏や行動に何かを期待して見にきていたから、文句が出た。」
鎌形赤血球貧血からくる関節炎で、特に左の尻の関節がひどくて、いつも耐えられない痛みがあったし、そんなこんなでイライラしていた」
コロンビアは、オレ達を『ブラック・ホーク』でライブ・レコーディングしたが、バントの連中もオレも、クラブに持ち込まれたたくさんの機材が気になってやりにくかった」

バンドメンバー、観客、自身の体調、レコード会社にフラストレーションを溜め込んでいます

救いと言えば、
オレの大好きなラルフ・J・グリースンという批評家がいた。彼と会って話すのは、いつだって楽しかった。」
と批評家と話すことが楽しみ程度という状況の中でライブレコーディングが行われます。R・J・グリースンは1917年ニューヨーク生まれの批評家。1935年より批評活動をはじめて1975年カリフォルニア州バークレーで亡くなります。

3.「NEO」の魔術的な響きの様子

ウィントン・ケリーのギクシャクするつまづくようなピアノの前奏からはじまり、ポール・チェンバースのベースとジミー・コブのドラムの統制の効いたリズムを土台にします。

ベースはランニングせずに“ボン・ボン・ボン”とリフを刻みます。そのあい間をドラムがぬうように2拍子で、シンバル、リムショット、ハイハットを音楽の筋に合わせて叩きます。このふたつの音色が絡み合い“ボン・チャ・チャ”、“ボン・カッ・カッ”、“ボン・チャ・チャ”、と3拍子のリズムを築きますが、ベースの“ボン”の1拍目が強かったり弱かったりして、聞こえたり聞こえなかったりして心の中で“ン”と休符を補いだすと、“ン・チャ・チャ”とアフタービートに聞こえ方が変わる不思議なリズムです。

無限に反復されるリズムのうえにマイルス・デイビスのトランペットとハンク・モブレーのテナーサックスがけっして明るくないメロディを奏でて、そこにもぐりこむようにウイントン・ケリーのピアノが伴奏します。

あとに残るのは人工的なリズムと不気味な音色に別次元な響きです。録音当時のクインテットの変調あるいは不穏を閉じこめてしまった一曲のような気がしてなりません。

アルバム
MILES DAVIS
IN PERSON 
SATURDAY NIGHTS ATTHE BLACKHAWK,
SAN FRANCISCO VOL.2

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