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ソニー・ロリンズ『ザ・サウンド・オブ・ソニー』


ソニー・ロリンズがいろいろな試みをし始めるのは、ニューヨークのジャズレーベルのプレスティッジとの契約を1956年12月に終えた翌年の1957年からです。
リバーサイドレコードからリリースされたリーダーアルバム『ザ・サウンド・オブ・ソニー』もそのひとつでコンセプトはロリンズを「テノール歌手とみなして演奏してみた」です。

アルバムジャケットは録音マイクにテナーサックスのベルを近づけたビジュアルです。構図はさながら女性ジャズ・ボーカルのヘレン・メリル『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード ・ブラウン』(エマーシー)へのオマージュです。


アルバム素描

ソニー・クラーク(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)とポール・チェンバース(ベース)、口イ・へインズ(ドラム)をメンバーに据えています。
プロデューサーはオリン・キープニュースですが、ここでのロリンズはプレスティッジ時代に比べ、名門ジャズレーベルのブルーノート・レコードやロサンゼルスのコンテンポラリー・レコードへの吹き込みと並べてもかなり趣きが違います。

全曲にわたりハードバップ型のように1曲の演奏が長いというよりもジャズボーカルの演奏のように短い。ピアノレストリオの演奏。実は『サキソフォン・コロッサス』(プレスティッジ)以来のワンホーンカルテットの演奏。テナーサックスの独奏。サンバのリズムでの演奏。

コンセプトはロリンズを歌手と見立てるですが、それ以外のさまざまな試みに合わせてメンバーが選ばれます。ポール・チェンバースの参加はピアノレストリオ演奏「思い出のパリ」とサンバのリズムで演奏する「マンゴーズ」です。より新しい試みにはモダンジャズベースの名手を必要としました。

60年代に入るとジャズ界はボサノバやロックなどの新しいリズムを積極的に取り入れて変わっていきますが、この時点でサンバを使うロリンズの先取の気質をうかがえます。

「ジャスト・イン・タイム」、「トゥート」、「ホワット・イズ・ゼア・トゥ・セイ」、「ディアリー・ビラヴド」、「エヴリタイム・ウィ・セイ・グッドバイ」、「キューティー」、「イット・グッド・ハブン・トゥ・ユー」は本アルバムのコンセプト「ロリンズが歌手になる」の演奏です。「イット・グッド・ハブン・トゥ・ユー」は独唱です。

『ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・カルテット』(プレスティッジ)からしばし録音をともにしてきたパーシー・ヒースがベース、ソニー・クラークはビリー・ホリディのヨーロッパツアーに参加したり、直前までダイナ・ワシントンのバックバンドを務めて、ロイ・ヘインズもサラ・ヴォーンのバンドで活躍をしています。コンセプトに沿ってヴォーカルの伴奏に経験のおおいメンバーが選ばれます。

聴後感

ソニー・ロリンズは収録した曲の全体にわたって深く曇りのある音色を奏でます。ソニー・クラークはバッキングのつけ方に上手さがあります。ロリンズのメロディに合いの手を入れるように伴奏をつけます。その聞こえはジャズのボーカル・アルバムで耳にする歌声の後にピアノのシングルトーンを添えるあるいは潜らせる弾き方です。

パーシー・ヒースのベースは温かみと盛り上がりのあるビート、ロイ・ヘインズのドラムは大げさな叩き方はせず刻みに徹して、ソニー・ロリンズの演奏を刺激せずにスムーズに歌う音楽の進行をささえます。

アルバム情報

『ザ・サウンド・オブ・ソニー』は1957年6月11日、12日、19日に録音され収録曲はレコード基準で、①思い出のパリ、②ジャスト・イン・タイム、③トゥート、④ホワット・イズ・ゼア・トゥ・セイ、⑤ディアリー・ビラヴド、⑥エヴリタイム・ウィ・セイ・グッドバイ、⑦キューティー、⑧イット・グッド・ハブン・トゥ・ユー、⑨マンゴーズです。

アルバムに関わる雑感

話題性の観点からするとネタがあふれています。①リバーサイドでリーダーアルバムの初レコーディング、②プロデューサーのオリン・キープニュースがロリンズを初プロデュース、③ピアニストのソニー・クラークとの初セッション。④真意は調べようがないのですが、アルバムタイトルの「ソニー」はロリンズだけではなく、ソニー・クラークも参加し二人のソニーがいるから、ふたりのソニーの『ザ・サウンド』か。さまざまなお初系があります。また『サキ・コロ』以来の約1年ぶりワン・ホーン編成でのレコーディングです。

オリン・キープニュースは才能を見抜く力があります。ピアニストで言えば、セロニアス・モンク、ビル・エヴァンスと契約をつけて彼らはリバーサイドに数々の名盤を残しています。

ソニー・クラークはオリン・キープニュースのもとにとどまらず本アルバム録音後、アルフレッド・ライオン率いるブルーノートでリーダーアルバムや数々のセッションに参加し録音を残します。なぜオリン・キープニュースはソニー・クラークを見逃したか、謎な感じがします。ソニー・クラークのアルバムはアメリカではほとんど売れなかった、とも語られたりします。この当時のアメリカのジャズファンと同じ感覚だったのでしょうか。

ソニー・クラークは活動の拠点を西海岸から東海岸へ移します。移動した理由をインタビューでこのように応えています。

「いかなる場所で演奏されようとも、ジャズはジャズだ。全ては演奏する人間の個性と表現にかかっている。しかし、私の演奏方法がウエストの人達とは違っていたことは事実だ。私はむしろイーストで演奏するほうが良いと考える。それはクラシックやほかの音楽にしてもそうだが、ここではよりジャズの伝統的な本質に近づくことが出来るからだ。どんなにウエストの人達の演奏が素晴らしくとも、やはり私が求める演奏ではなかった」

(タイム盤のライナーノートより。ソニー・クラーク・トリオUXP−64ーVT)

本アルバムは移動後の最初期にあたる時期に録音しています。自分の信念に従ってやってきたニューヨークで最初のレコーディングがテナーサックスの巨人ソニー・ロリンズとのセッション。

ソニー・クラークの心中はいかばかりだったのか知りたいところです。念願かなったのか、あるいは萎縮したのか。

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