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長崎異聞 19

 鬼、と呼ばれた軍師は小柄な男であった。
 月代を剃らない短髪だが、相対すればその額にどれ程の脳髄があるのかを図り、慄然とする思いである。
 村田蔵六の作戦には特徴がある。
 味方を極力減らさずに、敵を削りぬく戦法である。
 基本的には小部隊を隘路に配して、敵を長距離射撃で追い込む。
 そして四方からの射線を避けていくと、いつしか一本の退路に導かれる。その退路には伏兵をたっぷりと忍ばせてあり、撤退する軍の背を容赦なく刈り取る。追い剥ぎと嘲りを受けようが頓着しない。
 相手が郷里の藩であろうと、容赦がない。
 幕軍は旧い軍であったが、長崎より南北戦争で用いられた新式銃を海援隊という商社を通じて大量に購入した。
 そして訓練したのが江戸の町人である。
 旗本である醍醐の父兄は留守居になる。
 長州征伐で、家中には剝落感が漂った。
 江戸を守護する御役目というのは聞こえはいいが、遠征したのは町人上がりの兵である。それが雄藩である長州武士を散々に破った。いや、殲滅したという方が正しい。
 彼が恐ろしいのは戦後処理にある。
 長州を、藩しては取り潰さなかった。むしろ積極的にその権勢を維持せしめた。そして長州藩の町人から選抜した隊に、支配階級であった侍の背中を討たせた。
 それが鬼兵隊の成立である。
 多くの侍が長州を離れ、所謂防府崩れと呼ばれる浪人となった。蔵六の脳裏にあった戦は、町人兵を中核とする国民兵にあった。
 その創立にあたった蔵六は、防府崩れから蛇蝎の如き嫌われようである。
 
「お話を伺いますと、薩摩の釣り野伏のような戦さでしょうか」
 蔵六は鼻で笑って「薩摩は血を流しすぎる」と言った。
 亮子夫人がお口に合うかしらといって、出した紅茶を彼は嗜んでいる。また茶菓子として、かすていらが並んでいて、それを蔵六は手掴みでむしゃむしゃと食べた。兵部省大臣の侯爵というより博徒のような作法だと思った。
「ボナパルトという将帥が仏蘭西にいてな。一介の軍曹から皇帝にまで昇りつめたよ」
「太閤さまのようなお話ですな」
「彼はな、砲兵であった。砲術は数理だ。詰碁よりも理解しやすい。砲列で敵は容易に誘導できる。斬り合いなんざ非効率にすぎん。味方の血が流れすぎる」
 彼は指先を舐めながら、素っ気なくいう。
「それよりも血の流れない方策がある」
 橘醍醐は膝を詰めた。
 その座談の要諦が迫っている。
「露西亜も清国も、仏蘭西に至っても、その皇帝の意思を砕けばよい。戦さという無駄を一番廃せるのは、そういうものよ」
 彼が長崎に居る理由の片鱗が見えてきた。

明治に描かれた大村益次郎の肖像。既知のものと印象が違う。

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