#君に届かない
遊歩道はひび割れていた。
炎熱と風雪の痕跡だろう。
石段に走る隙間から、新芽の息吹が顔を出していた。
冬枯れの遊歩道を歩き続けて、汗ばんできている。歩を止めると吹き下ろす北風に意地悪を感じる。
夜景で有名なスポットで、恋人たちが願掛けに来る場所だ。
むしろ夜の方が賑やかかも知れない。都心から進出して来た洒落たバーガー店もとっくに閉店して、お知らせの貼り紙も色褪せている。
展望台からは、眼下に港町が見下ろせる。
深い入り江が故郷の港町を分断し、そのどこまでが海なのか川なのかが見極められない。遠くから物悲しい尾を引いて、汽笛がここまで流されてくる。
その展望台の欄干に赤錆が浮いていた。
欄干の下はケーブルが3本引かれており、いずれも南京錠が無数に下がっていた。その重みでそれは弓状に下がっている。
あの夜は、ここに立っていた。
そしてキスをしながら、ふたりで選んだ南京錠を掛けた。彼女の背中越しに、ケーブルに手探りで取りつけたのだ。
星が降るような、暑い夏の夜だった。
そうして過ごしているのは僕たちだけではない。群衆心理で理性のハードルがかなり低く設定されていた。
「ここで約束しちゃったね」
キスの後で、彼女は僕の唇に触れながら言った。
「鍵はどうしようか」と僕は素直に言葉にした。
「私から外すことはないわ。貴方が持ってて。解除するのは貴方次第よ」
その言葉は真実だったのか、その場の熱気だったのか。
離れていったのは、彼女の方だった。
僕は、今度は手探りでなく何度も座り込んでは、夥しい量の南京錠の中から、あの錠を探した。
「いつか記念日に、確認しに行きたいから、目立つ南京錠にしようね」と彼女がいうので、選びに選び抜いた特徴的な錠のはずだ。
汚れていようが、錆びていようが、見忘れることはない。
けれどそれは数百、数千の固く凝り固まった感情の列に埋もれていた。そのどれもが託された恋慕を固守し続けていた。
そしてその中を、収めようもない鍵を片手に、立ち尽くす滑稽さに気恥ずかしくなった。記念日なんて期待してなかった。そんな南京錠で閉じ込められる彼女ではなかった。
まあ、いいさ。
気持ちの折り返しに来ただけだ。
僕はその鍵をポケットに収めた。
封印してきた記憶を、再び施錠するために。
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