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【十字軍の城塞★放浪記】アルワード城/シリア

قلعة أرواد

シリア第2の港湾都市タルトゥースから3kmの沖合にあるアルワード島は、シリア唯一の有人島です。タルトゥースの港から船で15分ぐらいのところにあります。

余談ですが、シリアの首都ダマスカスでは、冬になると突然、魚屋さんが出現します(昨日までアイスクリーム屋さんだったのに!今日から急に魚屋?ということがありました。なんだか名前のわからない魚がちらほら並んでるのですが、巨大なタコ(足が1mぐらいあるやつ)を丸ごと売ってたりしました(ちなみにユダヤ教徒はタコ、ダメですよね?)

そういうお魚たちは、このタルトゥースのような漁港から運ばれてきてるようです。実際、タルトゥースにも、アルワード島にも魚屋さんや揚げ魚を食べさせるマトアム(食堂)が何件かあります。

ダマスカスでは冬場にしか魚屋さんが出現しないというのは、冷蔵の輸送・保管のインフラが整っていないのだろうと推測します。ましてや中世では、夏場の輸送は絶望的だったでしょうね。そこまで無理して魚を食べる文化でもなかったようです。

さて、このアルワード島の歴史は紀元前2千年紀のフェニキア時代まで遡ります。古名はアラドまたはアラドゥス。対岸のタルトゥースは「アラドゥスの向かい側」(Anti-Aradus)という意味でアンタラドゥス→タルトゥースと呼ばれるようになったとか。島の方がメインだったんですね。旧約聖書にも「アルワド」の名で出てくるそうです。

十字軍の時代には「ルアド島」と呼ばれ、橋頭堡※または集結地として使われていました。

※橋頭堡:本来は橋の対岸を守るための砦。川・湖・海などの岸近くで、渡って来た部隊を守り、以後の攻撃の足場とする地点。不利な地理的条件での戦闘を有利に運ぶための前進拠点。

1291年、タルトゥースがマムルーク朝の手に落ち、シリア本土から十字軍が一掃された時、テンプル騎士団が最後まで死守した島です。

タルトゥース側から見た城壁。
今は観光地で、ゆっくり歩いても2時間もかからずにぐるっと島が一周できます。

今残っている城壁はオスマン朝時代に増築されたもののようです。そういえば、城壁の上にあるギザギザの鋸壁(きょへき/のこぎりかべ)の上にさらに四角柱が乗っているのは、トルコの城壁に特徴的な形ですね。近代のフランス統治下では監獄としても使われたとのこと。

メインゲートの左右にはこんな彫り物が。最初にアラブがパームツリーを描いたところ、十字軍がそれを襲うようにライオンを描き、さらに再奪取したイスラーム軍がライオンの首に縄をかけたそうです。

4千年の歴史があるので、ギリシャの色鮮やかなモザイクもところどころ残されています。誰かこの文字、読める人いますかー?

今は漁港なのでたくさんの漁船が停泊しています。魚マトアムもあるのですが、普通に焼けばうまいのに、なぜ青いソースをかけるのだ? 原料はなんなんだ?

タルトゥースに行くなら、ダマスカスからホムスへ北上して、そこから西の道をたどります。レバノンのタラーブルス(トリポリ)から北上するとすぐですが、2000年当時は、そのルートでは国境が越えられませんでした(たぶん今も)。もちろん中世では国境がありませんから、海の道の重要な中継地ですね。

もう少し広域図を見ると、このあたり。十字軍は「海へ履き落される」のを何よりも恐れていましたから、キプロスへ逃げる拠点として最後まで死守したかったでしょうね。

今日の城塞はここまで〜🍀

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