愛とは「どうしようもなさを受け入れる」こと

信頼によって自分の深いところを見せるのが親友や恋愛だと思っています。友情は精神的に、恋愛は精神的も肉体的にも(性欲や性癖など)人に言わないところを見せ合う関係です。
そのレベルで見せる「自分」はおそらく一生変えられない部分で、ここが合わないと別れることになります。合うと、続きます。

この「自分の深いところ」というのは、一生変えられない部分、「どうしようもなさ」です。
相手のどうしようもなさを受け入れること、それが愛です。

相手の言動で、「この人はこういう人なんだな」というのを感じ取ることがあります。
例えば待ち合わせに必ず2〜3分遅刻してくるけど、悪びれた様子がない人。
これは時間をきっちり守る人にとってはストレスです。
しかし言っても簡単には変わりません。注意すれば最初のうちは時間を守るかもしれませんが、また徐々に遅れるようになっていきます。
このひとは「そういう人」だからです。

こういう「どうしようもなさ」が、あなたにもあります。
無駄に落ち込むことを避けるために、自分のどうしようもなさともうまく付き合っていく必要があります。
「うまく付き合う」というのが大事で、それは気合いでなんとかするとか、気をつけるとか、そういうことではなく、仕組みで解決するということです。
例えば視力が悪いなら、「モノをよく見るぞ!」と気合いを入れても無駄です。それより早くメガネを買った方がいい。どうしようもなさと「うまく付き合う」というのはこういうことです。

人は変わるし変わらない。それは変えられる部分と変えられない部分があるということです。
相手の変えられない部分、「どうしようもなさ」をどこまで受け入れられるか。それはどの段階でも愛と呼べます。
なのでもし、互いのどうしようもなさが原因で別れることになったなら、ちゃんと愛はありましたが、「そこまでの愛ではなかった」ということです。

相手のために努力して自分を変えた、というのは愛に聞こえるかもしれません。もちろんそれも愛です。しかし、そこで「なんでも私が嫌って言えば変えてくれるんだ」と思ってはいけません。そういう人にも、どれだけ努力しても変えられなかった部分が必ずあるからです。そういうところを受け入れられるかどうかで、あなたの愛がわかります。

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