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やる気がないわけではないのですが

フォローしている方が、仕事中よく居眠りしている方に対して、なぜ居眠りするのか、やる気がないのか、などと尋ねた、という話を読んで、「それは私か!」となった。尋ねた方は素朴に疑問に思っただけで、叱責する気持ちではなかったようではあるが、身に覚えがあると刺さる言葉である。
(念のため書いておくと、この記事はその発言を責めるものではなく、主に私自身の反省を書いたものである)

言い訳しておくと、やる気はある。ただやる気を越える威力が睡魔にはあるのだ。などと書いても無駄だとは思うし、考慮してくれとは言えない。いつだってしっかりと起きていて、真面目に仕事をしている人のほうがいいに決まっている。

無理をしないで早めに帰るとか、明日できることは明日やるとか、今日は調子が悪いから休憩を多めに取るとか、そういう姿勢でいる人よりも、毎日遅くまで残っていたり、今日できることは今日やってしまったり、疲れていても休まず仕事をしている人のほうが、勤勉な感じがある。

ただ、長くやったからといって必ずしもいい結果が出るわけでもないのが、仕事というか社会の難しいところであると思う。ちゃちゃっとやっていい結果を出してしまう人もいるのだ。どっちが合理的かといえば、ちゃちゃっとできるほうだろう。

では、時間をかけないと何かができない人や、時間をかけてもちゃんとできない人が駄目なのかというと、それは成果主義が過ぎる気がする。現実問題として、時間をかけてもちゃんとできない人は、仕事の枠組みには入れないことが多いわけだが、何かができるから存在していてもいいわけではないのだ。何にもできなくたって生きていていいはずなのだ。

というふうに考えていくと、広がり過ぎてしまって収拾がつかなくなるので、話を限ろう。とりあえず、会社に雇用された労働者は最低限、賃金分の労働力を提供しないといけないわけである。居眠りするなどしてその最低限に達しないとしたら、その仕事には適していないとされるだろう。

では、居眠りしても最低限の労働力なり結果なりを提供できるのならば、その居眠りは許されるのだろうか。「否」である会社が多いのではないか。寝るのは本人の自由だとされたとしても、その居眠りは周囲にも悪影響を及ぼしてしまう。自分が一生懸命仕事をしているのに隣の人が寝ている状況は、面白いものではないだろう。会社という場で働こうと思うのなら、自分一人で好きに仕事をしていればいいわけではない。周囲の状況に気を配ることを忘れてはならない。もちろん、自分一人の働きだけでは仕事が進まないことのほうが多いのであるから。

私が外で働きにくい理由の一つとして、この「常に周囲に気を配らねばいけない環境」がある。突如眠気に襲われてそれに抵抗できないこともそうだが、周囲の空気の変化に合わせるのが下手で気疲れしてしまうところもある。そういうタイプの人間もいるのだと、わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか……(引用)


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