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調子を上げる方法

どうにも調子が上がらない。そんな弱音ばかり吐かれても、この記事を読まれる方は困るだろう。いつも特に役に立つような記事を提供できているわけではないからこそ、せめて、読んでくれた人を不快にしないぐらいの記事は書きたいではないか。そう思いはするのだが、思ってできれば誰も苦労しない。

ならばそうだ「調子を上げる方法」を考えてみればいいのではないだろうか。私の場合は……。寝る。食べる。音楽を聴く。そんなところだろうか。いやしかし、それらを行った今も、調子は低空飛行である。

私のやり方では問題が解決しない。他の方の意見を聞こう。私は「調子を上げる方法」で検索した。さまざまな記事が出てきた。なるほどなるほどと読みはするものの、うん、それ、できたらいいんだけど、それをする気力もないんだよね、と思えてしまう。また、根本的に大事なのが「質の良い睡眠・食事・運動」などと言われてしまうと、そんな結構な時間をかけて整えていく物事、絶不調の今に言われてもどうしようもない、となってしまう。

元気な時から、その元気を維持するために、規則正しく質の良い生活をしておきなさいということだ。そんな教科書的な行動ができていれば、今、困ってない。と思う私は落ちこぼれなのだろう。

落ちこぼれなりに頑張って生活していきたいとは思っている。優等生の真似をしてもうまくできないのならば、落ちこぼれなりのやりかたを見つけていくしかないのではないか。これも、不調の時にやろうと思っても簡単にはできないだろう。調子の良い時に何をしているか。それを覚えておくことが大事なのだと思う。

とはいえ好調な時は何をやってもうまく進むように思えるし、ちょっとくらい失敗しても堪えない。そこで「これが好調の理由の一つか」とはなかなか思えないかもしれない。好不調に関係なく、普段から自分を観察することができていればいいのだろうか。自分を喜ばせる物事を知り、それを定番化しておく。その逆、こんなことをしたらうまくいかなかった、も必要かもしれない。こんな時にこれが効いたとか、こうしたらこうなったとか、自分に作用する行動のデータを集めておくのだ。

まず、データを記録する。これは手帳や日記などを書くことでできるだろう。そして、データを振り返る。こちらのほうが書くことよりも大事かもしれない。時々、手帳などを見返す時間を取ると良いのだろう。

ここで、手帳をぱらぱらと見てみた。何もできていない日もあるが、頑張っていた日もある。相当な書き込みのある日は、何かいろいろと考えていたのだろう。私だって何も考えていないわけではないのだ。ただそれを分析したり、分析の結果として改善したりするのがうまくないのだとは思う。

こんなふうに、自分について何か発見することができれば良いのではないか。誰かの視点もあるとより良いのかもしれないが、まずは、私ってどんな時にどんなふうになっているかの観察を始めてみようじゃないか。

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