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金金土月。

金曜日。
今日、二児の叔母になった。

金曜日その2。
気配りがすごい人は、誰よりも優しくて誰よりも頭の回転が早い。
困っている人にいち早く気づいてすぐにフォローできる人で、そこまで考えられる人気付ける人なんだから、自分が困ってることが周りに気づかれると、周りが気を遣ってしまうことにまで気配りをするから、誰にもバレないようにするはずだ。
というよりもその前に、頭の回転が早いのだから、困っても誰にも頼らずに自分で解決できてしまいそうだ。
そうなると、誰よりも気配りがすごい人のことを一体誰が気配りしてくれるんだろう。その人は誰かに優しくしてもらえるんだろうか。
めちゃくちゃ優しい人ってめちゃくちゃ孤独なのではないか、と前に思ったことを思い出した。

成熟した大人が悲しむより幼い子どもが悲しむほうが、見ている者の心は痛む。だから未熟な人が悲しむと、不公平だけれど気遣ってもらえるし、愛情も注いでもらえる。成熟な人は放っておいても大丈夫だろうと思われ、そういう配慮はされない。私は早く成熟し、生を知ってしまった分、損な役回りをしている。

ヨンオク姉さんのように人目をはばからず悲嘆に暮れることもできない。だから慰めも気配りもしてもらえなかった。私の苦しみはまさにそこにあった。私はみんなの心の中を理解しているのに、私を理解してくれる人は誰もいなかった。

『鳥のおくりもの』
 ウン・ヒギョン


土曜日。
誰にも理解されないのは孤独なものだけど、誰からも理解されるというのも、それはそれで孤独だ。
特別なものは何もなくて、凡庸でありふれていて、他の誰かと代用可能で、別に私じゃなくてもいい。
特別も凡庸もそれぞれ趣の違った孤独がある。

「私だけのもの」と感じられる経験は、確かな私の輪郭を知る手がかりになります。私だけの真実は、それが真実であればこそ、必ず世界のどこかにいる誰かの真実とつながっている。

『「推し」の文化論 BTSから世界とつながる』
鳥羽和久

月曜日。
Twitterで「褒められたい!チヤホヤされたい!」と呟いている人がいて、実際多くの人に褒められチヤホヤされていて、す、すごい…となる。
褒められたい!と無防備に言えることがすごい。実際にそれに応える人がいることを見越して言ってるのだろう。そうでなきゃそんなこと言えない。そしてまじで実際に褒められてるのがすごい。
褒められたい!と言ってるということは、承認欲求が満たされていないということなんだろうけど、そう言えば誰かしら褒めてくれるという自己愛と周りへの信頼はあるということ。こちらから要求しなくても日頃から褒められてるからこそ、褒められたい時に褒められたい!と言えるんだろう。それがすごい。
褒められたい!と言う人も、それに応えて褒める人もすごい。
褒められたい!なんてある程度自己肯定感がないと公に言えないことだけど、それに素直に応えてあげる人も人間ができているというか、ある程度自己肯定感がある人なんだろうなぁと思うし、その需要と供給というか、褒めの要求と供給の関係性もすごい。
遠い世界の住人たちの話だ。
承認欲求はあれど自己肯定感がなく、最低限の保険がないので、褒められたい!と言って誰も褒めてくれなかったら生還できないので、とても言えない。
しかもその人達は定期的にそんなようなことをしている。
す、すごい。仲良しポジティブエネルギーが渦巻いている。

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