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映画「風に立つ愛子さん」を観た

西千葉一箱古本市と同時開催で行われた映画「風に立つ愛子さん」の上映(75分)。

新聞か何かで「被災した一人暮らしの高齢者女性」と紹介されていて、もしかしたら有り得るかもしれない私の未来だと思った。私は「まだ被災してない一人暮らしの女性」なだけ、というか。

予告の「あの津波は、私にとっては幸せ運んできたの…」の意味は何となく予想がついた。非常事態だからこそ、否応なしに人の温もりに触れる機会が増えて、それが嬉しかったのだろう。ということは多分、ほっこりする映画なんだろうなぁと思っていた。

観終わって思ったのは、特別にほっこりする訳でもなく、特別に重々しくもなかった、ということ。ただ日常として、被災後も生き続けなければいけない現実がある。

結婚を選択せず、1人で働いて生きていた愛子さんは、自ら選んでいない災害に遭い、小学校の避難所で生活し、仮設住宅に移動し、最後は仮設ではないアパート暮らしになる。

私が同じ立場なら、最後のアパート暮らしでやっと安眠できると、ホッとできた頃合いだろうか。四六時中、人の目や音に苛まれるのはとても大きなストレスだろうから。

テレビに映る人よりも、リアルで対面する人の顔を見ざるおえない、距離感ゼロにも近そうな避難所の生活。戻れるならそこに戻りたいと言う愛子さん。仮設住宅での暮らしも、長屋暮らしさながらに、ご近所さんの飼い犬を愛で、ご近所さんの家でご飯を一緒に食べ、花も育てて、笑っている愛子さん。仮設住宅も移動したくないと言っていた。

津波で家を流されて、むしろ清々しい、みたいな事も言っていた。自ら選択していないけれど、生まれ変わったという事だろうか。生まれ変わった後に、避難所でもしかしたら有り得たかもしれない家族を得て、思いがけず希望を見い出したのだろうか。

被災前の生活にできるだけ戻れる様にと与えられる仮設住宅や仮説ではないアパートによって、奪われた思いがする人もいる。最後の叫びは、どうせまた奪われるならいらない、という意味に私には聞こえた。

この映画の前作に当たる「石巻市立湊小学校避難所」も観てみたいなぁ。

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