記憶の博物館1

ずいぶん以前、ラジオ番組での朗読用に書いた原稿です。エッセイというか詩というか語りというか…。ノスタルジーで、ちょっとセンチメンタル。別のマガジンである「ショートストーリーズ」の世界に似ています。

自分がこどもだった頃を思い出してもらうための企画でした。ある年齢以上の方には「懐かしいなあ」「あった、あった」となるでしょう。若い方にはピンとこないかもしれないけど……と不安を感じながらも、何本かずつまとめてUPしてみます。
今回は、「キャッチボール」「万年筆」「ビロード」「ファーブル昆虫記」

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キャッチボール

ただただ、相手の胸の辺りをめがけて、ボールを投げる。
受け取った相手も、同じようにして投げ返す。
……たったそれだけの繰り返し。
なんと単純で、なんて面白い、
キャッチボール!
 
あの頃は、べつにきちんとしたグランドがなくても、
おそろいのユニフォームなんかなくても、野球ができた。
人数が足りなかったら、三角ベースだってよかった。
空き地さえあれば、できた。
その空き地がなくたって、キャッチボールならできた。
たった二人いれば、できた。
ほんのちょっとした遊びの時間と、ほんのちょっとした場所さえあれば、できた。
路地でだって、できた。
子供同士でも、できた。大人と子どもでも、できた。
仲のいい友だちとも、初めて会った子とも、できた。女の子が混ざっても、できた
だって、単純にボールをやりとりするだけ。
野球のルールなんかよくわからなくたってよかったから。
      
ところが、その単純なキャッチボールが、意外に難しい。
 
相手との距離を計算し、うしろに壊れやすいものはないか、
誰か通りかかったりしないか、相手が上手いか下手か……などを考えて、投げるわけだ。
時には速く一直線に、時には山なりに。さっきは右だったから、今度は左に。じゃあ、次は高めに…と変化をつけながら。相手が飽きないように。

もっとも、変化のつけすぎでボールが転々とうしろにそれることも。
 そのボールを追いかける相手の姿に、
「ごめんごめん!」
と声をかけながら、
(次はちゃんと投げなくては)
と反省したり……。
 
考えてみれば、キャッチボールというのは、相手のことをあれこれと気遣ってばかりだ。
しかも、お互いがそう思いながらやっているのだから、念が入ってる。
だから白いボールが、吸い込まれるように相手のグローブに、
スパン!
とおさまった時には、なにかお互いの気持ちが通じ合ったような気がして、嬉しかったのかもしれない。
 
最近、キャッチボールをしてる子どもたちを見ないのは、
この街に、ほんのちょっとした場所さえなくなったからか?
ちょっとした遊びの時間さえなくなったからか?
 
それとも、他のなにか大切なものがなくなってしまったからか?
 
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