ちゃぶ台

まだ小さな頃、我が家に丸いちゃぶ台があったことを憶えている。今では昭和ノスタルジーのドラマやコントでしか見ない、ザ・昭和のちゃぶ台だ。アニメ・巨人の星で星一徹がひっくり返すあのちゃぶ台だ(漫画の中では一回しかひっくり返してないし、しかもそれは傾いただけ、というミニ知識はいりません)。

あれは、ふだんは脚をパタン・パタンとたたんで立てかけておく。どこか小さな隙間にでもスッと入る。使う時に脚を立てて、畳の上にセットする。それは小さな私にだってできる仕事だった。
我が家は父・母・姉・私の四人。部屋の中でそれぞれが座る場所は決まっている。ちゃぶ台は丸いのでどう置いてもよさそうなのだが、それが違うのだ。

ちゃぶ台は安っぽい板でできている。表面の塗りも安っぽかった。いつも茶碗やお皿を置く所は食器で擦れ、布巾で何度も拭くので、しだいに塗りが剥げてくるのだ。
丸いちゃぶ台の一ヶ所に、一番大きく塗りが剥げている所があった。それが、いつも父が使う場所の目印だった。そこを時計の針の12時だとすると、対面の6時の位置が二番目に塗りが剥げている。そこが母の場所。
その次に剝げている3時の位置が姉だ。その向かい側9時の位置が私が座る場所なのだが、そこの塗りはほとんど剥げていない。

私はいつも、父が座る場所に一番塗りが剥げた父の位置が来るようにと、丸いちゃぶ台をセットしていた。
(いま考えると、両親の所は同程度の剥げ方でいいと思うのだが、違っていた。昔のことだからお皿の数とか違っていたのだろうか?)

それにしても、父・母・姉が食器を置く位置の塗りの剥げ方に比べ、私の位置はほんの少ししが剥げていない。
いつもちゃぶ台をセットするたびに、
(ああ、ぼくはこの家で一番の新入りなんだなあ)
と、ぼんやり感じていた。
塗りの剝げ方の違いは、それぞれがこの家で生きて来た命の長さを可視化したものなのだった。むろん当時、そんな難しい言葉は知らなかったが。

ほどなくして、ちゃぶ台からもっと大きなコタツテーブルみたいなものに代わった。表面はきれいなデコラの化粧板だ。父も母も姉も私も、それぞれの位置は新品のピカピカ。全員が同じになった。
ここからスタートしても、家族四人が生きていく命の長さは同じだ。四辺は同じように剥げていくのだろう、と思った。

やがて、家族が囲む食卓はもっと立派な座卓、そしてテーブルに代わっていく。表面の塗装もしっかりしていく。どんなに使いこもうと塗りが剥げることはなかった。
そのうちに姉が嫁ぎ、私も家を離れ、独立した。もはや天板の擦れ具合で家族の歴史を見るなんて素朴なことはできなくなった。
もっとも、のちに実家に帰った時テーブルに、おそらく母がうっかり置いたアイロンによって薄く三角形に剥げた場所があり、それが天板に刻まれた家族の歴史となってはいたけれど。

両親が亡くなり、去年、実家を解体処分した。
その時、小さな押し入れの中から、脚をたたんで立てかけたちゃぶ台が出てきたので、私はひどく驚いた。
驚いた理由はいくつかある。

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