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20220525 「3歩進んで100歩下がる」

私はここに何度反省文を書けば気が済むのか。

保育園の帰り、息子と手を繋いで近所の八百屋へ行った。冷蔵庫の中の果物が底を尽いていたので、果物が大好きな息子の夕飯のデザートに食べさせてやりたいと思った。果物を買いに行こうか!と言うと、息子は飛び跳ねて喜んだ。

イチゴとリンゴ、バナナ、ゴールドキウイを買い、手を繋いで自宅へ帰る。一度も道端に寝転ばず、担ぎ上げず、泣かず、怒らず、引きずらず、歩けているこの状況を数ヶ月前の自分が想像できただろうか。感動を噛みしめ、嬉しくて息子の手をギュッと握る。

夕飯は納豆チャーハン。野菜を食べて欲しくて、刻んだアスパラガスを一緒に炒め混ぜてみた。わかめと卵のスープ、トマト、そしてデザートにゴールドキウイとイチゴを添えてやった。

息子が大喜びでデザートからもりもり食べた。喜んでくれて嬉しい。デザートを先に食べようが気にしない。何度も、おいしい!おいしいね!と言うその様子が可愛くて、一緒に八百屋に行けてよかったと改めて思う。

ここまでは良かった。ここまでは何もかも順調。ところが、息子は納豆チャーハンに入ったアスパラガスをお気に召さなかった。スープもトマトもデザートもすっかり食べ終わり、炒飯の細かいアスパラガスだけを避けて米粒をちまちま食べている。いつまでかかるのか、我慢して見ていたが一向に食べ終わる気配がない。もうご馳走様する?の問いかけに「まだたべるの!」という返事。お母さんがアスパラガスよけてあげようか?の問いかけには「じぶんでやるの!」という返事。埒があかない。そんな風に食べてると、アスパラガスのもったいないお化けさんがくるよ!と言ってしまう。つい。

夕食を食べ始めて1時間半ほど経過し、いい加減飽きてきたのか「おたーたんやって!」とのこと。アスパラを避けてくれとの依頼だ。もうすでに私はイライラしていて喉元がグッとなっていたので、ちゃちゃちゃと避けて残りの米を口に入れてやり、すぐに避けたアスパラをキッチンのシンクに捨てた。

やってしまった。息子は残りのアスパラは捨てずにテーブルに置いておきたかった、と言って泣き出した。テーブルに残しておいてももちろん食べるつもりはないだろうに、それでも捨てたくはない。わたしがアスパラのお化けさんがくるよ!と言ったから、捨てたらお化けさんがくると思ったようだった。

もうどうしようもない。どうしようもない状況に息子がぎゃあぎゃあ泣き喚く。私も腹が立っている。どうせ食べないんでしょ!と声が大きくなる。息子は泣き喚きながら口の中に入っていた米粒を変に吸い込み嗚咽して、吐き戻してしまった。

苦しそうに2度吐いてしまった息子を見て、結局一番最悪の結果になってしまったと思った。汚物を片付けながら、あんなに楽しく八百屋で買い物して、喜んで食べてくれた果物のことや、時間をかけてアスパラを避けてそれでも食べたくてちまちま食べてくれた炒飯のことなどを思って、全部無駄にする結果になってしまったなと泣けてきた。

幸いオットがいたので、あとのフォローは任せて一人でお風呂に入らせてもらった。

湯船に浸かりながら振り返った。いくらだって待ってあげたら良かったんだ、気がすむまでやらせてやれば良かった。アスパラのお化けさんだなんて脅し文句、使うのは卑怯だった。避けてやったアスパラをあんな見せつけのようにシンクに捨てなくたってよかったのに。全部わたしが悪かった、楽しく終わらせる方法はいくらでもあったのに、全ての選択を失敗して、結果息子も私もアンハッピーな形で終わってしまった。

お風呂から上がると、息子がケロッとした顔でオットと寄り添いテレビを見ていた。本当にケロッと忘れているのか、ふと思い出す悲しい思い出として息子の中に残ってしまったのか。八百屋で果物を一緒に買ったこととか、手を繋いでのんびり帰ったこととか、楽しい記憶だけが残ってくれてたらなんて思うのはあまりに都合が良すぎるだろうか。


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