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信頼と放置…その差がむずかしい

NVC(非暴力コミュニケーション)に出会うのがもっと早かったなら、子育てはまったく違っているのだろうな、と思います。

NVCに出会ったとき、息子は高校生。
一人っ子で親子の距離が近く、息子優先で過ごしてきました。

息子の食べたいものを作り、身体を心配しては試行錯誤して、買い物に行って探すのは息子のもの。命を授かったことへの尊さと愛しさで、自分のことは見えなくなっていました。


NVCと出会い、自分がどうしたいのかに向き合ったとき、どうしたいかが分からなくて戸惑いました。
実家にいたときには親の顔を見て過ごし、結婚後は夫のためを考え、子どもを産んだら息子を第一に生きてきたのだから当たり前ですよね。


少しずつ自分に視点がうつり「こうであるべき」から解けていく過程で、息子のためにと勝手に括っていた呪縛もたくさん見つかり、ゆっくりと自分がどうしたいかが分かるようになっていきました。

↓ アイロンもそのひとつ


息子との距離がゆるみ、見守れることが多くなったとき「お母さんは、急に僕のことを見放したよね」と言われました。

びっくりしたし、言い訳して自分を守りたくなったけれど、わたしができるのはそんな気持ちがあるんだねと受けとめること。

受けとめた上で「あなたを信頼しているから、見守れている」と伝えたのですが…「お母さんは、そうやってうまくまとめるよねぇ」と言われました。

信頼と放置、その差ってホント難しい笑。


変容が大きければ大きいほど、早ければ早いほど副作用が起こります。

わたしの場合、夫がNVCアレルギー(拒絶反応)になったり、息子に「見放された」と言われたことも、副作用の一つでした。

自分の中でNVC信仰が解けてツールのひとつなんだということが腑に落ち、相手に無理強いしなくなっていくと誤解も解けていくことを感じています。

長らく子どものためにどうしたらいいかに悩み、いい母という無自覚な看板を下げて動いていました。
だけど、いい母であってもなくても、自分らしくイキイキとしていたらそれだけでよくて、信頼して見守っていたら子どもは育ちます。

わたしがもっと早くに知りたかったことを、子育て中のかたにお伝えしたくて場を開いています。

大切なのはやり方ではなく、在り方。
そして本当に伝えたいことと表現です。

自分と対話し、目の前の人と対話しながら成長するプロセスをタイミング合うとき、ぜひご一緒に。


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