現代短歌を辞めて古典和歌へと遡る。

初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりです。
5年ほど前に活動休止して、公の場、主にTwitterなどから一切の存在を消していた私です。

かつては短編小説やら現代短歌やら散文詩やら、文字と名の付くものは片っ端から手を付けて嗜んでいました。
ですが、休止期間から現在にかけては細々と古典和歌を詠んでいます。

この話をする時にどうしても避けて通れないものが「現代短歌」という存在です。

多くの方の認識とは
「短歌とは5・7・5・7・7の文字数から成る、短い詩のこと」
「俳句とは5・7・5の文字数から成り、季語を含むもの」
「川柳とは5・7・5の文字数から成り、季語を含まなくてもよしとするもの」
あたりではないでしょうか。
「それでは、短歌と和歌の違いは?」と問われると「よくわからない」とか「違いはない」とかそういった曖昧な答えが返ります。
TwitterやnoteなどのSNSでも、短歌と和歌のタグを混ぜっ返して使用している方も少なくない印象です。

和歌は
「5・7・5・7・7の文字数から成り、歴史的仮名遣いを用いて表現する歌のことで、内容に漢文学の知識や故事成語に由来する平安時代の一般常識と修辞法を含むもの」
と、私は解釈しています。
それから、歌ですから、漢字にしても平仮名にしても同じ発音と意味になります。
発音には基本的に訓読みを使用します。
『基本的には』を補足すると、近代の万葉集調歌人の作品などには時に熟語として用いられる事もある為です。
私は『万葉集』ならびに『古今和歌集』の作品を意識して和歌を詠むので、特に理由がない限り音読みも熟語もカタカナも英語も使わない作風になっています。

「古典文法は面倒臭いしわかりにくいし、読みづらいばかりで嫌いだ」という方から見れば、時代を遡る私は非常に異端な存在かもしれません。
そもそも「内容に漢文学の知識や故事成語に由来する平安時代の一般常識と修辞法を含むもの」は、実際に詠んでいる私自身も難しいと感じます。

そのような和歌を現代に詠むということは馴染みがないかと思いますが、音の美しさや感情の機微などがなんとなくでも伝われば嬉しく思います。
ある程度の知識がある方だけが気付けるギミックも混ぜ込みながら。

もし興味があれば、どうぞよろしくお願い致します。

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