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双極性障害のおかげで楽に生きられるようになるまでのこと

友人から「最近、自分も双極性障害かもって心配なんだけど、さよはどういう経緯で障害だと気付いたの?」と聞かれました。彼女への返信を書きながら、「これ、知りたい人が他にもいるかも」と思ったので、まとめてみました。

死にたいと思い始めたのは中学生の時

私は、小学生の時まではすごく明るく、クラスの人気者グループに所属する活発な女子でした。でも中学に入る前から少しずつ周りの目をすごく気にするようになり、それに伴い「自分は嫌われているのでは」「あんなこと言わなきゃよかった、消えたい」など、必要以上に、また極度に落ち込むことが増えていきました。中学に入るとその傾向は強まり、元気な日もあるものの、夜中に死にたくなり、どうすれば死ねるか考えたことも何度もありました。

こんな風に極端な気分のアップダウンはありましたが、当時はそれが病気や障害であるとは想像もせず。そういう性格なのだと受け止め、死にたい気持ちになってもなんとかやりすごしていました。

吹っ切れた高2〜大学時代

高校生になった私の楽しみの一つが、家で映画を見ることでした。レンタルビデオ店で借りてきた(当時はDVDも動画配信サービスもなかった)映画を深夜に見るのが日々の楽しみでした。

そんな中で、高校2年の時に何の気なしに借りた映画「ラングーンを越えて」は私の人生のターニングポイントになりました。「自分なんか価値がない」「生きてても無駄」「死んでしまいたい」という気持ちに支配されていた私に、「この映画の主人公のように生きてみたい」という願いが湧いたのです。

以来、私には「国際協力の仕事につきたい」という夢ができ、死にたい気持ちに囚われることも減って、受験→大学入学→就職→海外インターン→NGO就職 という夢の実現へと歩みを進めていきました。

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鬱症状が怪物になって戻ってきた

夢だった国際協力NGO職員になって一年後の28才の時。私は酷いうつ状態に襲われ、9時間ほど涙が止まらないという出来事がありました。それを見た友だちが「ちょっとそれ、やばいから病院いきな」と勧めてくれ、それが初めての精神科受診につながりました。

その時はうつ状態(うつ病になる一歩手前)と診断されて、抗不安薬などを飲み始めましたが、薬が効いている感じはせず。病院に行くたびに泣いたり不安が強まったりすることもあり、転院を繰り返しました。そして3人目の医師にかかっていた時のこと。「考えてみると、すっごく元気な時、仕事しまくる時期もあるな」と気づきました。そしてその躁と鬱の波があることを先生に話したことで診断が双極性障害に変わり、薬が変わりました。その後、いくつかの薬を試みた結果、双極性障害によく効くといわれる薬が効果を現し、ずいぶん症状が楽になりました。

鬱の時、躁の時はこんな感じ

私の場合、どんな症状が辛かったかを少しご紹介します。

鬱の時
✔︎自分のことが嫌いになる
✔︎自分なんて価値がないと思う
✔︎自分はなんでこんなにダメなんだろうと思う
✔︎誰かが怪訝な顔してるのは自分のせいな気がする
✔︎消えたくなる
✔︎死にたくなる
✔︎何をやってもうまくいかないと感じる
✔︎活躍してる同業者が妬ましくなる
✔︎何をするのも億劫で、意欲が湧いてこない
✔︎新しいことをするのが怖い
✔︎人と会うのが怖い

躁の時
✔︎最高に気分がいいなと思う
✔︎いろんなモノゴトに感動する
✔︎ご飯が美味しく感じる
✔︎いろんなものが買いたくなる
✔︎いろんなアイディアが湧く
✔︎挑戦したくなる
✔︎人と会いたくなる

躁がもっとも酷かった頃は、フルタイムでNGO職員をしていながら「空き時間にバイトしよう!」と考えたり、「市長選に挑戦しようかな?」と考えたりしてしまっていました。今考えるとありえませんが、躁状態の時は「絶対にできる、それが最高の選択だ!」と本気で信じていました。

私が躁と鬱を繰り返してきた理由

効果のある薬が見つかったことで一定回復した私。発症したのが2008年、薬である程度安定するまでに4年はかかっていたと思います。

でも、この時点ではまだ、気分の波はなくなっていませんでした。鬱の時の症状の酷さや、鬱で苦しむ期間は短くなったものの、やはり死にたいという気持ちは時々現れ、生きるのがしんどいと泣くことがしばしばありました。

そんな中、私は夫に手伝ってもらいながら、私が躁と鬱を繰り返す理由、そのメカニズムを探るようになりました。そして「私の場合、働きすぎが鬱を引き起こしている。鬱から抜けると、その開放感からまた躁状態になり、仕事が楽しくなってまた働きすぎてしまう。このループをなんとかして止めないと、薬だけではこれ以上はよくならない」と気づいたのでした。

自分で自分の処方箋を探す日々

それ以来、私は自分がどういう時にしんどくなるかの特徴をつかんで、原因になってそうなことを変える努力をしてます。こういう作業は一人では難しいので、夫が手伝ってくれています。(精神科医の中にはそうした作業を手伝ってくれる医者もいるようですが、私のかかってきた医師は4人とも薬を処方してくれるだけだったので、自分でなんとかしてきました。カウンセリングでその作業をすることもできるようです。)

具体的にはこんな感じです。

私の場合、心身共に極度に疲れがたまると鬱転してしまうことが明らかでした。そこで以下のようなマイルールを死守するようにしました。

✔︎毎日必ず8時間寝る
✔︎週2日は休みを絶対とる
✔︎休みの日は11時間寝る
✔︎生活リズムをキープ
✔︎夜21時以降は静かに過ごす

今でもいろんなマイルールを更新中です。
これらのマイルールを適用したことで、気持ちの波はずいぶん小さくなり、発症から12年経ったいま、鬱に苦しめられる時間は月に6〜20時間程度にまで減りました。

双極性障害は生き方を変えてくれた

10年以上メンタル疾患と付き合ってきて思うのは、「精神状態がよくないっていうのは、体からの『ちょっと生き方修正してみない?』というサインだ」ということです。

何年もの間、なんで私は鬱転してしまうのか?を分析し続けてきました。じーっと観察を繰り返して見えてきたサイクルは、「躁の時にアイディア湧いて人と会いすぎて予定いれまくる。最初はすごく楽しいけど、それがだんだん疲れとして蓄積し始めて。でも躁真っ只中の時に入れた予定はまだ数週間先まで詰まっていて、キャンセルできない。やむなく無理にこなしていくうち、疲れがたまりすぎてパンクして鬱になる」ということでした。

ここでいう頑張りすぎというのは、長時間労働だけじゃなく、みんなの前で「理想的な私」として振る舞おうとして気持ちが疲れてしまっているというのもあります。

「頑張りすぎな生き方、暮らし方はもうやめて!」私の心身は、鬱という症状を用いて、私に警告を私発してくれていたのだと思います。

まだ今も日によって鬱症状は出ます。それは決まって頑張りすぎた時で、しっかり休養するとすぐに(早い時は翌日に、ひどい時でも4日ほどで)消失するようになりました。

私の生き方はずいぶん変わったのです。

常に全力投球で、完璧主義で、自分にも他人にも厳しくて、断れなくて人に頼ることもできなくて全て抱え込む生き方から。

たまに手抜きして、まぁいっかと思うことも増え、自責をやめ、他者に寛容になり。少しずつ人に頼るのができるようになり、断ることは今は練習中。弱音が吐けるようになったことが、ここ数年の大きな収穫。

鬱が本当に酷かった頃は、生きているのが本当に辛く、地獄のような日々でした。死にたいけど死ねない。生きてるのに、がんばる気力がわかなくて、惨めで悔しさだらけの生活でした。

もう2度とあの日々には戻りたくない。でも、今の私になれたのは、あの苦しみがあったからだと感じていて、無駄な経験だったとは思いません。

この経験が誰かの参考になったらいいなと願い、これからも少しずつ文章にしていこうと思います。

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