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明朝体に変えてはみたけれど

  浮かばない日にも無理やり浮かべます
  心もとないわたしの小舟

 学生時代の話。学内にAVライブラリーなる場所があって、授業が休講のときはいつも直行した。皆が一様にヘッドホンをつけて食い入るように画面を見つめている空間。そこにはVHSやDVD、LDなんかが大量に所蔵してあって、学生証を提示すればいくらでも見放題だった。私の住む学生寮は食堂に大型テレビが1台あるだけで、寮生のほとんどはラジオを聴いて過ごしていたから、映像に触れられるAVライブラリーの存在はとても貴重だった。
 
 本日のタイトルはその頃観た映画、小津安二郎監督の『落第はしたけれど』をもじったもの。まさか数年後に自分も落第(正しくは留年)するとは想像もしていなかった。
 
 卒業の日、留年生はさびれた会議室に集められて円になり、卒業証書を右から左へリレーさせられた。本物の式とは程遠い流れ作業のような、やっつけ仕事のような卒業式は、今思い出してもなかなかにシリアスな光景だったと思う。

【きょうの書き出し短歌】

 毎晩、Twitterに俳句らしきものをつぶやいている。誰とも約束してないし、願掛けをしているのでもない。多分、さみしいのだ。さみしい夜にはTwitterの海に漕ぎ出したくなる。大げさだった。Twitterという海へつながる川の途中に頼りない笹舟を浮かべたくなる。これも大げさか。さみしい夜にはTwitterにボールを投げてみたくなる。運がよければ球は返ってくる。返ってきたそれはさっきよりちょっと光って見える。

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