粥(ぷみ)

おやすみ、の時間が好きです。

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愛の居どころ

きっかけがあって、およそ1か月前に自分が書いた記事を読み返してみた。 なんだかいたたまれない気持ちになってしまった。なんか凄い病んでるなと。 でも無事に今年も歳を重ねて、晴れて24歳になった。来年はアラサーの仲間入りらしい。でも25歳と29歳は全然違うだろ!と思ってしまう。一緒にするんじゃねえ! それはさておいて。 上記記事の中で私は特大の母親コンプレックスを吐露していて、自分の中に存在する愛の居どころが分からなくて、愛されることも愛することもまだまだ初心者なのだと確信

    • 遠距離なんて些細なことで

      いつだって、必要なのは言葉だと思う。 彼は付き合った当初からずっと、LINEでも電話でも毎日「好き」という言葉をくれる人だ。それがなかった日なんて一日たりともなかった。そんな彼と5か月の遠距離を経て、4月12日、初めて会った。 これまでで一番長い5か月だった。いつになったら会えるんだろうとか、ひょっとしたら私は彼に騙されていて、会えないんじゃないかとか。いろんなことを考えながら、でも喧嘩すらなく毎日の電話越しに彼との時間を共有していた。だからなのか、初めて対面して彼と話し

      • 赤い糸じゃなくても

        今の恋人に出会うまでに、ずいぶん遠回りをした。まだ24歳だと思う反面、そのうちの何年、何日、何時間、何秒を無駄に過ごしてきたのだろうと思う。私は昔の交際経験をどうしても美化することが出来なくて、過去の恋人たちを酷くこき下ろしている。どの人のことも、今は大嫌いだ。 その時に持っていた糸のその先にいた人と恋人になって、あれもこれも、赤い糸じゃなかったなぁなんて落胆しながら、糸を持つ手を緩めたら、ひとりぼっちになった。 二人になったり一人になったり、そんな長い遠回りの果てに、今

        • 私をハッピーにしてくれる50のもの

          好きなもののことを考えている時ってめちゃくちゃ幸せで。 ずっとそれだけを考えて生きていけたらいいのになとか。 本記事では、いつも私をハッピーにしてくれるもの(好きなもの)たちをちょっとした自己紹介のつもりで書き出してみる。 1. ぬいぐるみ 本当にかわいい。おうちで一緒に暮らしているぬいぐるみ一人一人に名前を付けている。いつも一緒に寝てくれるくまのナクさんは、毎日ぎゅってしすぎてくびれてきている。いつも持ち歩いているくまのぷみちゃんと仲良しだよ。 2. いぬ 実家に

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        愛の居どころ

          かわいいひと

          「かぼちゃいらない、買わないで」と、スーパーのセルフレジの一角で母親らしき女性に駄々をこねている子供がいて、かわいいなと思う。知らない犬と犬が飼い主同士の会話をよそにガウガウ喧嘩をしているのも、かわいい。 友達が「そろそろ会いたいね」なんて連絡をくれるのもかわいくて、私の周りはいつだってかわいいが飽和している。 私を「かわいい」と思う奇矯な人もいて、これは本当にただの惚気話でしかないのだけれど、遠距離中の恋人は毎日電話越しに私に「かわいい」と言う。それがよくわからないタイ

          かわいいひと

          愛、されること

          強くなりたいし、優しくなりたい。すべてに。 自分がこうなってしまったのは生い立ちや家庭環境のせいだ!って、実際そう思ってるけど、過酷な家庭で育った人でも成功してる人がいるわけで、そうすると私のこの盾ってもうなんの意味も成さなくて。生い立ちや家庭環境が劣悪なのは、不完全な人間であることの言い訳にならなくなる。 不完全が悪いわけじゃないって分かっているけど。難しいよ、自分を納得させるのがいちばん難しい。頑固で頭かちこちで融通の効かない人間のこと、どう説得すればいいんだろうね。

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          金曜日に、おもんない話をしよう

          最近、ずっと好意的に思って見ていた人間に恋人ができて普通に、クソがと思っている。その人に恋愛感情を抱いていたつもりは無いし、本当にただの傍観者だったけど、私は多分"恋人がいない"その人のことが好きだったんだろうなと気づいた。 世界で一番好きな人に恋人が出来たら、その恋人のこと世界で一番嫌いになるのは私あるあるなんですけど、好きな人間が幸せになれればそれでいいはずなのに好きな人間の「幸せ」の中にはもう恋人しか存在していないような気がして、イライラしてしまう。私はあなたの幸せの

          金曜日に、おもんない話をしよう

          京都みなみ会館の閉館

           去年閉店してしまった近所の洋食屋が、建物ごと取り壊されているのを見た。  私は変化が嫌い。街も人も、変わらないでいられるなら、変わらないでいて欲しい。邪魔に思うものでも、いざ無くなると寂しい。ずっとそこにあったものが、生活の中から消えてしまうと、私はそれを徐々に忘れていってしまう。ただでさえ忘れっぽい私なので、邪魔で仕方なかったあの歩道橋が無くなったことも、来年には忘れてしまうのかも。  「京都みなみ会館」  大好きな場所だった。私の住むところに最寄りの近鉄駅が無いから

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          酷暑と憂鬱と、氷!

           暑すぎてなんにもしたくないですよね正直。何するにも暑くないですか?家のトイレとか熱がこもりにこもって暑すぎて長居できないです。  毎年、去年の夏どうやって乗りきったっけ?って思うわけです。去年の私ってパワフルだったんだなあって。  夏バテなのか食欲不振も続いていて、私の質量は日に日に減っています。元がデブなのでその方がいいんですけど。今は標準体重を少し下回る程度です。もういっそ減りすぎて無くなるくらいでもいい気がします。一旦ね、一旦。  暑いのもあるのか、なんなのか分か

          酷暑と憂鬱と、氷!

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           生きていると、死にたくなる日が幾度となく訪れる。きっと私だけじゃない。これを読んでいるあなたにもきっとそう思った日が、そう思った瞬間があったと思う。  限界が来たとき、死にたいと声に出すと祖母は決まって泣いた。どうしてそんなことを言うのかと。祖母は癌を患っていて、完治は難しい状況にあった。それでも毎日を祖母なりの一生懸命で生きていたのだと思う。そんな祖母からするとどこからどう見ても健康な私が「死にたい」なんて言うもんだから到底理解などできなかったのだろう。  でも私は、

          桜流し

           満開になったなぁとか思っていたら、あっという間にみどり色の葉が見え始め、見頃の時期に桜をカメラロールに閉じ込めて満足した人達は、足下に広がる桜色の絨毯が踏みつけられて汚れ始めても気にしない。  私はちょっと寂しかった。それこそが桜の良さなのだと理解はしていても、雨風に撃ち落とされて踏みつけられていく様を見ていると寂しかった。  そんな中でも、人に踏まれること無く川の流れに乗って流れていく桜を見ていると、何故か私は救われたような気持ちになった。  先週、祖母の一周忌が終わ

          変わってしまうものたちと、それを忘れていく人

           最近、小さい頃から邪魔だなぁと思っていた近所の歩道橋が撤去され、見渡しが良くなり、横断歩道が設置されて便利になった。  メニューに、口にするのがちょっぴり恥ずかしくなるような名前を付けていた近所の洋食屋はいつの間にか閉業していて、交差点の角にある何度か店がコロコロ変わっていた土地は気づけばもう一年以上更地のままになっている。  見知った歩道にはいつの間にか自転車通行部分が出来ていたし、マンション横の高架下で夜な夜な進んでいた工事が終わって綺麗に整備された歩道は、自転車がガ

          変わってしまうものたちと、それを忘れていく人

          それでも春は好き

          この時期になると職場で一生鼻をかみ続ける人や、交通機関を利用するとそこら中から鼻をすする音がする。職場で一生鼻をかみ続けている人に「花粉症ですか?辛そうですね」と、声をかけると「辛いよ。でも君も気をつけな、急になるで」と返ってきた。 おいおい、約20年間生きてきてそんな兆候ひとつも無いんだ。慢性鼻炎はあるけど、花粉症なんて縁なしなんだよ私は。目も鼻も喉も超健全よ。 22歳の春、花粉症罹患。 目が痒すぎる。痒すぎて最早痛い。瞼がかぶれてきた。鼻もズルズルで死にたい。ティッ

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          容姿コンプレックスという沼

          私にとってルッキズムが蔓延る現代はとても生きにくい。 容姿コンプレックスの芽生え 自分の見た目が不細工だと気づいたのは早い時期からだった。なんてったって父親が、幼少の頃から私のことを不細工という意味で「ブーちゃん」と呼んでいたから。私は不細工なのだなと。 いつからかそんな風に呼ばれることも無くなったけど、私はそう呼ばれていた時期が確かに存在していたと認識している。 ただ、その時期に抱いていたものを容姿コンプレックスというにはまだ至っていなかった気もする。 容姿コンプレ

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          もうすぐ桜が咲きます

          2023年も、もう2ヶ月過ぎたらしい。 早すぎてまだ2022年の残像が見える。 2022年はまあ本当に色々あって、ちょうど今と同じような時期に、生まれて初めて花粉症を発症したかと思えば、至るところで桜が綺麗に咲いていて、4月の初め、桜も満開の頃に祖母が亡くなった。 緩和ケア病棟にいる祖母に私が送った桜の写真には、既読だけが付いていて返事は返ってこなかった。もちろん今も。 祖母は真面目な人だった。学生の頃に母親を亡くして、高校を卒業してすぐに某生命保険会社に入社して、定年を

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