奥野 紗世子
無料で読まれるのがいやな文章がまとめてあるマガジン
文學界新人賞を受賞した2019年春から2020年までの日記。55本。
小説家の奥野紗世子です。 自己紹介をしたいと思います。 奥野紗世子(おくの さよこ) 1992年北海道 札幌市生まれ。 2019年「逃げ水は街の血潮」(文學界2019/05)で第124回文學界新人賞受賞。 「復讐する相手がいない」(文學界2020/05)、「サブスティチュート・コンパニオン」(文藝2020/冬) 「無理になる」(文學界2021/06)。「tattva」(ブートレグ)でコラム。 最新作の「無理になる」はこちらから少し読めるようです。 いままでの小説でいちばん
おつかれさまです 5月19日にある文学フリマで、D-01の【裸眼無加工大学】というスペース名で大木芙沙子さん(大学院のパイセン)と出店し各々の本を売ります。 わたしは「女たち」というタイトルの短編集で、「女たち」「幡ヶ谷にて」「死んでもいい経験」「軽蔑」「ザボン」という五篇が入っているものを売ります。 内容としては、以前小説に出した登場人物にまつわる話ですが、過去作を読んでいなくてもかなり楽しめるようにできています。 できていますので、そんな方も気軽に買ってほしいですね
「タトゥーを彫って後悔したりとかを人生でしたほうがいいんじゃないか」となんとなく思ってきた。彩りがあって。 それは目的が手段になってるんだけど、もっとそういう儒教に背くことをガンガンやったほうがいい気がする。 この国の法や妊娠周辺の事情からは、女性を徹底的にモノ化して意思を持たない存在として扱っていく!というメッセージを感じるので、どんどんそれに適さない女性になるべきである気もしているし。 導入部分のぺらぺらのなにも考えていないやつっぽさに比べてちょっと政治思想が強くて
「ダラス・バイヤーズ・クラブ」に主人公が、自分と同じエイズ患者の女を見つけたときに嬉しすぎて次の瞬間セックスしてるシーンがあるけど、する恋愛の質がそういう感じになってきてる気がする 無論セックス云々の話ではなく、です 5月19日の文学フリマのスペースが決まりました。「D-01」です。 わたしは大木芙沙子さんと同じスペースで各々の本を売るのですが、「裸眼無加工大学」という名前なので、チェックしてみてください ちょっと情報が拡散されなさすぎて、「マジで売れないかもしれん」って
モタモタしているうちにSUQQUの春のアイシャドウが売り切れてしまいかなり悲しかった。 わたしは顔がSUQQUとosajiだ。よくいえば和風。薄いのだ。NARSとMACの顔じゃない。 NARSとかMACの発色いいやつを広い二重幅にガッて塗ってみたい人生でした。 家に「現代短歌」が届き、読む。 巻頭の瀬戸夏子さんの連作の題が「詩人は短歌を作らないでください」だったので、テンションが上がる。これくらいのことをどんどん言っていきたいと思う。 わたしが小説でやるなら「お前らがすぐ
NOKIAのヘッドホンほしいんだけどどうなんだろう。というかヘッドホンってどうなの?東京では、暑い?
ソナチネって北野武の映画で、わたしは「邦画でどれが好き」って聞かれたらソナチネと川島雄三の洲崎パラダイスをかならず挙げる。 たぶん最初に見たのは大学生くらいのときで、おそらく実家で夏休み。 まだ大通りの交差点のところにTSUTAYAがあって、そこの「発掘良品」に……って発掘とかの映画でもないと思うんだけど、に、あったから借りて見たんだと思う。 2回目に見たのは池袋の文芸坐。8月で、友人のNちゃんといっしょに行って、ふたりして時間を間違えていて途中で入ってしまうことになった
突然不当に世間から差別されている気がして猛烈に腹が立ったあと、以前「わたしは新宿にいくとかならず蕎麦を食べにいく店がある」と言ったら「新宿で蕎麦か。色気があるね」と言ってくれた交際相手のことを思い出して、「蕎麦を食ってるだけでこんなに肯定されることってこの先あるのかな……」って泣きそうになる。 「奥野さんは地下道を歩く時の動線に趣があるね」とか言われたい……。 つまり情緒が終わってる。同時に自律神経が、元来のホルモンバランスの悪さと季節と気圧でひっちゃかめっちゃかになっており
大木さん(大木芙沙子さん。いっしょに文フリに出るから来てくださいね)と神保町で飲む。よもやま話。いいシャツ着てた。 17時から始まり、三軒目まで行った。行ってくれてありがとうございます。 文フリで売る本の値段の話や、もう途中から「普通のフリをしているほとんど記憶のない人」だったんですが、非常に楽しかった。 ちなみにわたしの本はデザイナーとの連絡が取れなくなっていて不安になりつつあります。 翌日。あまりにも体調が悪い。なんだこれは……と思ってたら、気圧が下がりすぎて、その下
わたしの生活は、恋愛しているときと恋愛していないときしかなく、だいたいが恋愛しているときは精神の調子がよくてしてないときは調子が悪い。 きのう絶対にわたしを好きだろ!という人にふられたので、いまは本当に具合が悪くなにもかもが終わりだと思っており、なにをしても楽しくありません。 おそらく恋愛しているときのドーパミンの依存症なんだと思うんですが、これはわたしがドーパミンの出し方を恋愛と小説に集中することでしか知らないことが問題な気がします。 ふられた人間にはここ数年で5回くらい
Mさんと小川町のベトナム料理屋へ。 発狂寸前になりながら働いているという話題を聞く。 なぜかパンをたくさん食べたくなり、買うが、だいたいパンを食べたいときってメンタルがダメな気がする。 落ち込んできて、自分が恋愛下手なのは、子孫を残すなというメッセージなのでは……と思い、友人Nちゃんに言ったところ「メッセージ発してるのは誰?神?」と返信が来て、咄嗟に「祖先?」って送った。 もし祖先がそれを言ってるとしたら、普通は祖先は子孫繁栄を願うものなのだから、マジでヤバいよな。 小説
家に買った覚えのないメガネがあって、かけて出かけたら友達に褒められたんだけど、このメガネマジでなんなんだよ。 それくらい本当に投げやりになっている。知らねえメガネで出かけるのは変だから。 担当編集者Tさんと会ったのがバレンタインだったので、リンツの詰め合わせをあげたら翌日に「一粒食べたら美味しくて、とまらくなって四粒も食べてしまいました。このままじゃなくなってしまうと思って出社しましたとさ。」みたいなメールが届いて、「この人は森に住んでる野うさぎみたいなメールを書くんだな」
すでに2回終わった恋愛が、もうこれ以上は終われない、というところまで到達して終わる。 軽自動車同士の事故ってこれくらい見てられないんだろうなって思う。 もはや恋の終わりというより、因縁とか業を引き離すような感じだった。 思ったのは、終わり際の「この人はこんなに傷つけたのだから、わたしだって傷つける権利があるだろう」と思いながら人を嬲ってるときの自分って世界でいちばん醜いですよね……って醜いって漢字を使って思ったけど、嬲るもそうだけど、漢字ってすごい女性蔑視だといつも感じるけ
最悪企業で働いてた元彼はエロいパーティに呼ぶ女を先輩のためにナンパし始めてからホンサンスとか見なくなった
前に好きだった人に似すぎてる
明日から相撲だ。相撲がやっている間は死なない気がしている。