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病気との付き合い方

17年一般総合病院、精神科病院の看護師を
していました。
救急外来、整形外科、脳神経外科、循環器、
皮膚科、形成外科、精神科、
そこでの経験で印象に残っているのは
やはり【生死】でした。

20代で人の最期に向き合うのは
私のメンタル的には衝撃が大きくて
看護師には向いていないと思う時期が
ありました。

しかし、お亡くなりになった患者の看護と
並行するように手術患者や救急患者の対応が
重なり、命の重さってなんなんだろう?
この人の最期に私がいる意味は何なんだろう?
いちいち、色んなことに焦点があたっていきました。

喜んで外出して行った患者さんが
行った先で発作を起こし心肺停止で搬送されたり

行ってきます!と元気で会社に向かった息子が
高速道路で事故に遭い即死で搬送される、

高血圧やアレルギー発作、糖尿病、骨折
心筋梗塞、脳梗塞、癌、うつ、適応障害

ごめんなさい。
私はそんなあらゆる疾患や生き方を見ることで
悩んだり苦しんでいるのは私だけではないんだと
思い知ることができました。

人生、なにが起こるかわからない。
命の現場にいたからこそ
自分の病気が小さく感じるキッカケになりましたし
どうあがいても死ぬ時は死ぬということを思いしりました。

それまでは、私だけが辛くて苦しいと
病に囚われていましたし、そんな私は
ダメなんだという思いから周りには隠していました。

でも、人間裸になればみんな同じ体。
上も下もなく、強い弱いもない。
ついてるものも、臓器も一緒。

勝手に人を羨んだり、比べたり、上にもちあげたり
優劣をつけたり、被害者になっていたのは私だったことに
気付きました。

周りを信じれなかったのも私。
私を信じれなかったのも私。
あの人の言葉や態度を非難しているのも私。
自分を卑下して前向きに捉えられないのも私。

今、もし、ものごとが停滞しているのなら
それは全部自分の結果だということに
気づいたことで、自分の扱い方が変わりました。


病気の自分を責めるより
病気の自分を無くしたいと思うより
今のそのまんまの自分と一緒に生きる覚悟が
大事でした。

治るとか治らないとか
普通、普通じゃないとか
どーでもいいこと。
言葉にあてはめる必要なんて
ありません。

枠外にいきましょう。
自分の人生は誰かのようではなくて
いいんです。憧れなくていい。

素晴らしい人生を生きる必要も
そもそもないのですから。

丸山さゆり








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