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人生との仲直り

この一週間、これまで生きてきた中で初めて音楽家としての充足感を感じています。そして、音楽家として生きてきた人生をようやく認められるようになってきました。

これまでずっと、自分自身や周りに対してエクスキューズしながら音楽を続けてきたように思います。年と共にこじらせて、承認欲求の塊が出来ていたのかもしれません。でもそれは、他の誰にでもなく、自分自身に認めてほしかったのだと、いまようやく気がつくことが出来ました。

昨日のnoteで自分が辿ってきた道を振り返りました。自分というか、既存の役柄の限界まで鍛え抜いてきたのだなあと感じました。そして、どうしてこんなに自分をいじめる道を選んでしまったのだろうとも思いました。ただ、やり抜いたからこそ見えた景色もあったので、それには感謝しています。

これまで縛られてきた「立派でなくてはならない」という呪い。それは、他でもない自分が生み出したものでした。そして、その呪いをほどくことが出来るのも、自分しかいないのです。

私はドイツ歌曲が好きです。これまで、ドイツ歌曲を好きでいてはいけないと思っていたけれど、とても、とても好きなのです。そして、これからずっと、その音楽と言葉についての理解を深め、自分の心身を使って表出していきたいと願うのです。

……と書いてみると、大きな玉ねぎの皮がボロリと剥がれていくような心持ちです。自分はこんなにも歌曲の世界が好きだったのかと、泣けてくるような思いです。

もっともっと、取り組みたい作品がたくさんあります。取り組みたい作曲家がたくさんいます。シューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフ、シュトラウス、マーラー、レーガー、コルンゴルト、ヒンデミット、ツェムリンスキー、ヴァイル、シェーンベルク、ベルク……。名前を書いていくだけで、心が穏やかに満たされていきます。腰を据えて取り組んでいきたいです。

華やかなもの、きらびやかなものはとても素敵ですが、それよりも等身大の息吹を感じる実直なものが好きなのだと、ようやく自分の心の方向を認められました。自分を大きなものに合わせようとしてきましたが、それはもうやめにしましょう。等身大の自分の喜怒哀楽を大事にしていきましょう。心と体に無理をかけるのは、もうやめにしましょう。これまで着ていた鎧をほどいていきましょう。

これまでよりも自由に、音楽を愛していけるような気がします。そして、音楽と共に生きてきた自分の生をようやく肯定することを始められた気がしています。これまでの苦しみも時間をかけて昇華させていき、これからの表現の絵の具としていければいいと願います。

この一週間、表現の源泉にあらためて深く向き合うことができました。そして、ようやく音楽家として生きてきた自分の人生を肯定し始められました。そのきっかけをくださった、おかのきんやさんとの対話にあらためて深く感謝申し上げます。ありがとうございます。

ここからの表現が、静かに穏やかに、そして深く変わっていくような気がしています。書くものも自然と変わっていくのかもしれません。その穏やかな変化がとても楽しみです。

でも、まずは自分との仲直りのプロセスをゆっくり丁寧に歩むことが第一です。自分なりの表現は、そこから自然ににじみ出てくるものなのですから。

そのプロセスがとても楽しみです。心も体も穏やかになっていく過程を、ゆっくり歩んでいきたいと願います。


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