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預かっている生命(1歳9ヶ月)

息子の成長を見るたびに、人はたった1年と数ヶ月でこんなにも成長するのかと驚いてしまう。大好きなトーマスにご飯やお茶をあげたり、「ねんね」と言ってアンパンマンを寝かしつけたり。トマトを食べている時に突然立ち上がり、おままごとのトマトのおもちゃを持ってきて見せてくれたり(これ知ってる!同じものを持っているよ、と言いたかったたのだと思う)。

息子の寝言で「ママ…」と呼ばれた夜は、すごく嬉しくて少しだけ切なくて。あんな不思議で尊い気持ちになったのは初めてだった。

もちろん大変なことも往々にある。自己主張とイヤイヤが始まった今、一筋縄ではいかないことが増えた。着替えもイヤだし、お風呂も歯磨きもイヤ。とにかくイヤイヤイヤ。

やりたい・言いたいことがあるのにうまく伝えられない。そんな幼児との生活は時折カオスになる。耳元で大泣きされることも、作ったご飯を食べてもらえず捨てることも、夜泣きで起こされることも日常茶飯事だ。しかしそれらは晴天の日に突如現れるゲリラ豪雨のようなものだと思う。急な雨に降られちゃったよ〜トホホ…と思うことはあるけれど、雨は必ず過ぎ去るし、太陽はまた顔をのぞかせる。なんというか、普段はポカポカした温かくて柔らかな空気に包まれているのに、たまに不意打ちを食わされる。その繰り返しである。

あの日、両腕におさまっていた小さな赤子は、よく食べよく遊び、いつの間にか朝まで眠るようになった。そんな健やかな日々を繰り返していくうちに、むちむちだった体は少しずつ縦に伸びだし、綿毛のような髪の毛はクルクルと伸びていった。靴を履いて我先に歩き、私のお皿からうどんを取り分けモリモリ食べるその様子はもう…立派なひとりの人間だなぁと思う。

彼なりの精一杯の速さで走り出すその背中を見て、君はいつ赤ちゃんじゃなくなったんだい、と心の中で問いかける。成長は嬉しいことなのに、ほんの少しだけ寂しい。甘えるように抱きついてきたり、こっちに来てと指差しをしてくれる今が、ほんの少しでも長く続いて欲しい。親のエゴだなと思う。

それから十数年、ゴローは大学へ進学して、大きなリュックをかついで出ていきました。
育った息子が手元から離れて翔びたつのは当然と思いながらも、そのときの寂しい気持ちは何ともいいがたいものでした。そのとき、私自身を納得させるために考えたことは、ゴローから預かって育てたゴローの生命をゴロー自身に返したのだということでした。ずいぶんカッコ良い考えだなとも思いましたが、どう考えてもこれ以外の考えは浮かびませんでした。

『ゴローとケイスケ』宮崎朱美 著

新作『君たちはどう生きるか』が大ヒット中の宮崎駿監督。その妻である宮崎朱美さんは、過去に自身の著書で御子息・吾郎さんの旅立ちについて上記のように述べている。
預かっていた子どもの生命を子ども自身に返す。この言葉を読んだとき、シンプルだけど深い愛情の上に成り立つその考えに、私は深く心打たれた。そして同時に私の子育ての指針のようなものにしたいと思った。

2歳にも満たない子の成長にウルウルしている身だけれど、息子の生命をこれからもずっと大きな気持ちで預かろうと思う。
いつの日か、彼が私のもとを旅立つその日まで。

最近旅行した清里で撮ったお気に入りの写真☺️(息子お腹出てるけど)


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