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文豪と〆切 ⑦石川啄木「責任解除!」

 

夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話(エッセイ、日記、手紙など)94篇を収録したアンソロジー『〆切本』、続く『〆切本2』から、文豪の作品を13篇、お届けします。
師走の忙しさを一時忘れさせる、泣けて笑えてためになる(?)〆切エンターテイメントをお楽しみください。

「明治四十二年当用日記」  石川啄木


❖ 三月三十日
 約の如く今日こそはと大学館へ行つた。二時間も待たされてゐるうちに出社の時間はパツスした。そして「鳥影」の原稿を返された!
 面当(つらあて)に死んでくれようか! そんな自暴な考を起して出ると、すぐ前で電車線に人だかりがしてゐる。犬が轢かれて生々しい血! 血まぶれの頭! あゝ助かつた! と予は思つてイヤーな気になつた。
 その儘帰つて来て休んで了つた。
 夜、吉井の手紙―昴がおくれて困るから校正に来て助けてくれとの―を見て三秀舎にゆくと、モウ吉井は帰つてゐた。少しやつて帰つてくる時、京子の事母や妻の事が烈しく思出された。あゝ三月も末だ、そしてアテにしてゐた大学館がはづれて、一文なしの月末!

❖ 三月三十一日
 午前吉井が来た。困つてゐる、スバル四号は二日でなくては出来ぬ。吉井は病気をしたいと言つてゐる。病気! あゝこれは今迄予の幾度考へた事であつたらう! 責任解除! 予は吉井を侮つてゐた。然し予と吉井と幾何の差ぞ。
 今日も休まうかと思つて届書をかいたが、腹に力を入れて、そして破つて了つた。そして出かけた。帰りに三秀舎によつてみると、今夜は工場休み。
 豊巻君を訪ねた。帰つて来て金田一君の室で十二時をきいた。

(『〆切本2』掲載)

石川啄木(いしかわ・たくぼく)
1886年生まれ。歌人、詩人。本日記は、北海道から上京し、東京朝日新聞校正係の職を得て生活がすこし安定した頃のもの。ボツにされた小説『鳥影』はその後、11月に東京毎日新聞で連載される。「吉井」とは歌人吉井勇、「金田一君」とは金田一京助で、頻繁に会っていた。病気をしたいという吉井に「責任解除!」と驚くが、その後会社をずる休みし執筆というパターンを自家薬籠中のものとし、4月からの「ローマ字日記」には、「そうだ! あと1週間ぐらい 社を休むことにして、大いに書こう」とある。1912年没。
*明治四十二年当用日記 底本『啄木全集 第六巻 日記(二)』筑摩書房


▼【3万部突破!】なぜか勇気がわいてくる。『〆切本』
「かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ……」
「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
追いつめられて苦しんだはずなのに、いつのまにか叱咤激励して引っ張ってくれる……〆切とは、じつにあまのじゃくで不思議な存在である。夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話94篇を収録。泣けて笑えて役立つ、人生の〆切エンターテイメント!



▼【発売即重版!】今度は泣いた『〆切本2』
「やっぱりサラリーマンのままでいればよかったなア」
あの怪物がかえってきた!作家と〆切のアンソロジー待望の第2弾。非情なる編集者の催促、絶え間ない臀部の痛み、よぎる幻覚と、猛猿からの攻撃をくぐり抜け〆切と戦った先に、待っているはずの家族は仏か鬼か。バルザックからさくらももこ、川上未映子まで、それでも筆を執り続ける作家たちによる、勇気と慟哭の80篇。今回は前回より遅い…


▼【作家の作品】石川啄木著・桑原武夫編訳『啄木・ローマ字日記』


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