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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 4月編

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「あの日のわたしたち」4月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター… もっと読む
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◎4月30日(2017年) 両者対極の成績で迎えた試合は「まさか」の結果に

2017年4月30日(日)、浦和レッズはNACK5スタジアム大宮で、大宮アルディージャとJ1リーグ第9節を行い、0-1で敗れた。5年前で止まっているさいたまダービーだが、今のところ最後になった2017シーズンの第1戦は、まさかの結果だった。いや、これがまさかではないのが、さいたまダービーなのだが。 3年連続リーグ優勝を逃していたレッズ  前年、Jリーグで2ndステージを制し、年間1位の勝点を積み上げたものの、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れJリーグチャンピオンの

4月30日(2017年)ダービーの結末

大宮アルディージャというチームは何故か浦和レッズと戦う時にはすごい力を発揮します。この試合もそうでした。 レッズはこのシーズンは開幕して以来、攻撃がうまく機能し、リーグでもACLで面白いように点数が取れていたという記憶があります。この日までは。 この試合ではレッズの自慢の攻撃がうまく機能せず、後半大宮に先制された後もついに敵陣のゴールを割らず、そのまま終了となりました。 それ以降、Jリーグではレッズは不調に陥り、そのままミシャの解任の日まで立て直す事ができませんでした。

4月30日 だから大宮いらね

以前の投稿で、私は「大宮いらね」と書いた。直接対決で互角に渡り合われ、「目障り」な存在であったからだ(大宮側からしたら、浦和に「目障り」と思われるのは、最高に痛快であるだろう)。 かつて、スポーツライターの金子達仁氏がスペインリーグの中継で「ダービーは調子が悪い方が買い」と話していた事がある。さいたまダービーに関しては、まさにその言葉通りの結果になっている。浦和が大宮を順位で下回ったのは2011年のみで、実力的にも、サポの数でも浦和が圧倒しているのだが、その分ダービーに対す

4月30日(2017年) 正直、二度となくて構いません

サッカーだから何が起こるか分からないですし、この日のように圧倒的実力差がスコアに現れないのがサッカーの面白いところであることは分かっています。 しかし、自分の生きて間に、もう対戦は御免被りたいというのが正直な思いです。 というか、プライドもコンプライアンスもスタイルもないチームは、一度チームとしてどうするかを考え直した方がよいと考えています。 二度となくていいと思う訳 1 スタジアムのキャパがあまりにも狭い上に、アウェイゴール裏のキャパを年々狭くし、アウェイサポ排除しか考え

4月30日(2017年):大宮の運営

この日は、テレビ参戦ですね。ホームでの次の試合になる鹿島戦で友人3人をテーブルシートに招待していて、その時に出すオードブル試作で忙しかったみたいです。 この試合のメモには「41試合ぶりの完封負け」と書いてあります。清尾さんによると、リーグ連続得点が28でストップしたとのこと。ミシャ監督の最盛期、ゴール奪うのは簡単だったんですね。 皆さんも書かれている通り、Nack5は席が取れず、まだ参戦したことがありません。この試合で、一段と狭くなったアウェイ席に怒ったレッズサポが、境界フェ

4月30日(2017年)最後のダービー

埼玉スタジアムを使わないなら、2度と対戦しなくていい。もう、チケットから並びから入場から何から何まで面倒くさい。それでも2017年はそれまでで一番チケットも取りやすく、改修後のNack5スタジアムのお作法にも慣れていたので、ストレスはかなり緩和されていた。が、厳戒態勢の大宮の仕切りは気持ちいいものではなく、開門時間を迎えても遅々として進まない待機列や動線を遮る仮設フェンスなど「ずっと下(J2)にいてくれ」と思わせるに十分な運営だった。 気持ちのいい青空、ビールが進む。より攻撃

4月29日(2011年) 震災から再開2試合目、仙台のホーム開幕戦で初黒星

 2011年4月29日(金・祝)、浦和レッズはアウェイ、ユアテックスタジアム仙台でベガルタ仙台とJリーグ第8節を行い、0-1で敗れた。3月11日に発生した東日本大震災で中断していたJリーグが再開して2試合目。震災の被害が最も大きい地域での試合だった。 再開2試合目で被災地へ行くとは  中断後、リーグ戦の日程やナビスコカップの大会方式が組み直された。いま思えばリーグ戦の「節」も試合順に付け直されるべきだったのではないか。2020年にコロナ禍で中断したときは、そうなっていた。

4月29日(2011年)仙台に負けたのは「気持ちの差」だけだったのか?

 浦和レッズは、4月24日ホームの名古屋戦が、震災で中断していたリーグの再開となります。試合前には被災して亡くなった方たちへ黙とうを捧げました。その時は、津波で失ったモノの衝撃が大きくて、続く原発事故の深刻さにはまだ気づいていませんでした。福島は今も原発事故の最中です。  レッズも震災復興支援のとりくみを色々やり、この日は支援物資の受付をしていました。4月10日には山形とのトレーニングマッチが無料公開の埼スタで行われ、義援金募金もやっていたのでチャリティマッチのような形に

4月29日(2011年)傷跡を目の当たりにして

チケットの発売は平日。 地下鉄が復旧するか否かは直前まで不明。 試合前日に全線開通することが判明するも、車で北上することにした。 日常とは程遠い中、早朝に浦和を発ち東北道を一路仙台へ。栃木県から福島県に入る辺りから道路は所々うねり、左車線には自衛隊の災害派遣トラックが列を成していた。途中渋滞に嵌り一般道に迂回しながらも、お昼頃には仙台泉に到着。埼玉や東京と違い、コンビニの品揃えは豊富だった。 スタジアム正面から時計回りにアウェイ側に歩く。バックスタンド下には震災で壊れてしまっ

4月29日(2011年):忘れない

この日は、テレビ参戦でした。ベガルタの再開初戦は、忘れられない試合ですよね。 清尾さんの記事で、ゴール裏のWe are Jリーグを初めて知りました。 埼スタの再開初戦で持ち寄った支援物資を、クラブに仙台へ運んでもらいました。 自分は行けませんでしたが、たくさんのレッズサポが、レッズのサポート以外のこともするために仙台を訪れました。 26日に書いたように問題も多いけど、こういうところ、レッズサポはホントにカッコいいですよね。 自分も、レッズサポです。 この年、試合数を減らしたの

4月29日(2011年)震災後のJリーグ

2011年のこの日はまだサッカーの試合を心から楽しむまでにはなっていませんでした。被災地三陸地方出身の夫の親族が何人も津波に飲まれ、家が流され、行方がわから無い人もいて、気持ちの上でも地震の続きの不安定な地盤に立っているような感じでした。 そういう状況でのこの日の試合。スタジアムではなく、テレビで観ました。ベガルタに負けてもそんなに悔しいと思いませんでした。それだけ、震災で受けたショックが大きすぎて、日常で感じる感情が鈍化していたという事でしょう。 ベガルタはこの年、好調

4月29日 敵役にならざるを得なかった試合

東日本大震災による中断が明け、再開したJリーグ。被災地・仙台での最初のホームゲームの対戦相手に浦和がなってしまった。中断後の日程を見て、嫌な予感がしたものだが、案の定、敗れてしまった。 仙台戦は当初は宮城スタジアムでの開催予定だったが、仙台スタジアムに変更された。おそらく宮城スタジアムが震災後の対策の拠点に使われたことによるものと思われたが、とにかく震災後初めての仙台開催という事で、メディアも大きく取り上げ、全国的な注目を集めた。「浦和サポ以外、皆仙台の応援に回るんだろうな

4月29日(2011年) 苦難の年

震災から一ヶ月半が経ったけれど、被災地はもちろん、東日本への影響は甚大でした。4月に入っても自宅や職場が計画停電になったこともありました。生活や業務への影響が大きく、正直サッカーどころではない時期でした。 Jリーグ再開はうれしかったけれど、自分の生活の基盤がしっかりしていないと、チームのサポートもままならないことを突きつけられました。 チームもこの年は苦労の連続。2011年はまさに苦難の年でした。

4月28日(2018年) 対湘南、21世紀初黒星

 2018年4月28日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに湘南ベルマーレを迎え、Jリーグ第11節を行い、0-1で敗れた。21世紀になって、湘南ベルマーレに初めて敗れた日だった。 7勝1分けのあとの黒星  ベルマーレがJリーグに昇格した1994年から1999年までの6シーズンで、両チームはJリーグで16回対戦しレッズが10勝6敗という対戦成績だった。そしてベルマーレは2000年からJ2で戦い、再びJ1の舞台に上がってきたのが2010年。それから降格と昇格を繰り返してこの前年