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書くという単純作業から歓びを摘出する。

※これはかなり上級者向け情報です。
(というより、ライティングテクニックみたいなとものとは隔絶された精神論みたいなものになります。それ故に、必要とする人としない人が、はっきり分かれる内容になるかと思います。)
それどころか、ある段階まで行けば、もはや必要ない能力でさえあると思います。
それでも、読みたい人だけ読み進めてください。
ただし、読み進めるならある種の覚悟が必要です。










文章の上達を指南する発信は多い。
しかし、書くことのたのしさそのものの発信は少ないように思う。
もっと文章の楽しみ方を学べば、もっと書くことは楽しくなる。
上達の最短ルートは夢中だというし、文章を上達したいなら、とことん楽しんで夢中になっちまえばいい。
というわけで、本記事は、書くことがたのしくなる方法というテーマに絞る。
本記事を読んだら、あなたは書くことが楽しくなって、気づけば文章沼にどっぷりはまっている。
そんな内容を目指そうと思う。

書くことが好きで好きで、そんなもの好きが講じて物書きになった。
あいかわらず書くことが大好きだ。
でも、どんなところが好きなのかと言われると、かなり複合的な領域にまたがっていることに気付かされる。
だから、書くことが楽しくなるためのヒントをお伝えする。山門文治は、文章を書くこと、何を楽しんでいるのかという変わった切り口で解説する。

(1)言葉選びがたのしい

言葉選びはとてもたのしい。
たとえば、この書き出し。「言葉選びはとてもたのしい」にも少しだけこだわりがある。
それは視認性をよくするための工夫を盛り込むことができるからだ。
多くの人は、「言葉選びはとても楽しい」と漢字で表記するだろう。しかし、ぼくはあえて「たのしい」をひらがなで表記している。
「この違いはなんだ?」と聞かれるとそれは、あまりにも曖昧模糊としているため、言語化することはむずかしい。
けれども、「たのしい」とひらがなで表記した方が読みやすくなるはずだ。こういう感覚は、絵画における絵の具の色と近いはずだ。
ことわっておきたいが、ここで「たのしい」をひらがなに表記することは、ぼくの中での正解であって、他の人にとっては不正解かもしれない。つまり、普遍的な正解というものはない以上、読者の感触に合わせて文体を変えていき、時代の求めるかたちに符合するように目指す努力も必要だ。
そうすると、時代が求める文章のかたちを目指したくなる。こうなると言葉選び沼にハマった証拠である。
こればっかりは正解があるわけではないので、じぶんなりの正解にたどり着いてほしい。
だけど、予測変換にしたがうだけだったり、全部を漢字表記にすると、かえって読みにくくなることがある。こういうことは知っておいていいのだろう。

(2)デザインがたのしい

文章はデザインだと言っても言いすぎじゃない。
といっても、フォトショやイラレはいらない。文章におけるデザインというのは、コトバで表現できるのだ。文章を読む視認性を上げるという努力がこれに該当するだろう。
行間がきつきつの文章はやっぱり読みにくいし、漢字がぎっしりと敷き詰められていると、やっぱり、読むのは億劫。
このように、あなたの文章の初見の人が客観的にみて読みやすいのか、読みにくいのか、こういう直感的な感覚が大切になってくるだろう。
ただ、ヒントを補足しておくと1文の長さは50字以内の方が伝わりやすい。あと、関係代名詞が文中に出てくる場合は、それだけ読める読者の%が減少していることも忘れたらいけない。
でも、究極的には、じぶんがしっくりくるデザインを目指せばいい。
バーっと文字が書いてあるだけじゃ人は読んでくれない。そこに改行とか、句読点の配置とか、漢字にするのかカタカナにするのか。こういう細やかな部分に繊細になる。それだけじゃない。noteには、太字や引用や見出し2・3など装飾を表現できる。これらも従来の使い方以外にも、模索し工夫する。
強調するのに見出しを用いたり
あたりまえになっている表現方法もいちど疑ってみる。そこから、あたらしい発見が生まれるかもしれない。

(3)書くネタがたのしい

書くためには、常にあたらしい情報に触れておかなかればならない。
最新の情報にアップデートする姿勢が大切だ。
しかし、情報をアップデートすると言っても、読書だけを情報源にしてはいけない。
読書だけでなく、日常のすべてが言葉を磨くきっかけだ。
まちかどの広告や電車やつり革の広告なんかも情報の宝庫だ。電車のキャッチコピーは、電車に乗る人をターゲットにしている。ということは、限られた時間の中で商品やサービスを覚えてもらわなければならない。だから、短くパンチのある言葉で勝負しなければならない。あるいは、YouTubeやTikTokのショート動画やアニメ、漫画などからも「読ませる技術」を学ぶことができる。彼らも限られた時間の中で読者や視聴者を少しでも、とどめておくために必死で技術を駆使している。そういうテクニックを学ぶことは、じぶんの表現の幅を広げることになるだろう。このように、日常のすべてが書くためのネタになったらたのしくなる。

(4)読まれることはたのしい

読まれることはたのしい。
読まれた感想は、人それぞれで、三者三様。書き手は読ませ方に関して、工夫はできるけどコントロールはできない。どう受け取るのかのか、それはその人次第だからだ。
書き手(ぼく)が想定していなかった読み方をする人もいるし、書き手の想像の範囲を超えて喜んだりする人がいる(その逆もしかり)。
こうやって考えると、書くという行為は、いろんな感情や思いを惹起する装置なのだと思う。
ぼくが書いたものを、あなたという人生経験を通過した人格が読むことで、解釈が生まれる。
そうして、ぼくだけが思っていたことがだれか共有される。このひそひそ話感が書くという行為の最高にたのしいところだと思う。
「読む」という体験をとおして、あなたにできるだけたのしんでもらいたい。これはぼくが書くときに意識していることだ。
これが読まれることのたのしさである。

まとめ

「書く」って奥深い。
この世界では、言葉を自由に配置できる。
言葉や言葉以外のものの配置にこだわる。
じぶんだけのレイアウトで、じぶんだけのバリエーションで、じぶんだけのコトバのコラボレーションを。
めざせ、美文家。

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