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伝統食の行方はどうなるのかな

本日の授業では秋田県の食文化に関する論文を取り扱いました。
秋田と言えばきりたんぽ、納豆汁、あとすごい甘党!ってイメージですかね。

そんな伝統食は作り手の不足・高齢化、作り方を知らない世代の増加などでは「廃れてきている」と言えるかもしれません。

ただ、その論文では材料のキットや調理済みのものが市販されるようになったことによって食の機会自体は廃れていない、むしろ機会が増えて伝統食を食べる機会が増えた。そのため伝統食の将来は期待が出来る、という結論でした。

つまり、伝統食の外部化です。
今まで家で作られてきたものが外部の力によって繋がれている。
専業主婦が減少する中で伝統食を守るのには適当な形であることがわかります。

ただ、楽になった分、作る技術も伝承されていないというのがとても寂しく感じます。
私の幼少期の頃は母が味噌や漬物を手作りしていましたが、今では市販の味噌で私は作り方を知りません。教えてもらえばよかったなと今になって後悔しています。

母、父、祖母の姿って本当に憧れます。

母、祖母は料理をする際に基本的にレシピは見ずに習ってきたこと、教えられてきたことで作っています。そして、すごいのが私が見よう見まねで作ってみると「○○入れてないでしょ?」と足りない調味料を指摘することです。

一方、父は野菜作りに奮闘中です。当然美味しい。
この秋は大量のさつまいもが採れて、毎日毎日何かしらのさつまいも料理を食べています。「次は何作る?何食べたい?」とずっと楽しそうにしてはいますが、今年の夏にずっと畑を耕し続けていて本当に尊敬してます

ずっと繋がれてきた味。その年何を植えるかで変化する食のラインナップ。

これは外部化することはできません。
紫キャベツを作った際、消費に困った母が紫キャベツ鍋作ってしまうなんて外部化できないです。まるで魔女鍋だった。

正解はない。あーだこーだ言いながら家の味を作る。

これこそが私は伝統食だと思います。
私も繋いでいきたい。

読んでいただき、ありがとうございました。

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