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後悔して気付いた後悔しない方法

昨日、軽い気持ちで書いたこのブログが凄い話題になった(俺史上)

アイデアをどんどんみんなのものにして行きたいなと思っての日記だったの共感が繋がり広がってくれたことが本当に嬉しいなと思いつつ、そう言う盛り上がりの流れを無視して今日の日記。

みなさん、パッタイってしってますか?タイの焼きそばみたいなやつでタイ料理屋には基本的にあるメニューだと思います。僕は冷麺とパッタイが好きすぎて、焼肉屋には肉ではなく冷麺を目的にいっています。焼肉は助走。

冷麺はメジャーだから良しとして、問題はパッタイなんです。
僕をパッタイに目覚めさせたお店がかつて京都にありました。前の事務所が近かったこともあり、週2で食べに行くほどです。写メも残っていません。食べたい気持ちが先行して、そんなもん撮ってません。あったかいうちに食いなさい。

京都でもパッタイが食べれるお店はそれなりにあるんですが、僕が愛してやまなかったThai Cafe Katiというお店は、2016年11月ごろに閉店してしまっている。あの味が好きすぎて今でも食べたい。やめるならレシピを教えてもらえば良かった。マーク・トウェインはこう言っている。

やったことは、例え失敗しても、20年後には、笑い話にできる。
しかし、やらなかったことは、20年後には、後悔するだけだ。

たった2年も立ってないけど食べたいなと思うたびに後悔の念が襲って来る。どこで食べるパッタイも僕が好きだったあのパッタイの味とは違うのだ。とてもシンプルな料理なようで、全然違う。知らんタイ料理屋で「これじゃない!!」と怒るほどだ(心の中で)。

Katiのパッタイが大好きだった人は多いはずだ。ランチタイム行くと主婦からくたびれたサラリーマンや僕のようなニートっぽい人まで、みんな「パッタイひとつ!」とオーダーしていた。

本当リアルに、パッタイばかり皆で頼みすぎたのかな…あんなにパッタイパッタイ言われたら嫌になるよな…とか反省もしたりした。それほどに閉店が悔やまれる。パッタイ以外もカレーも美味しかったしサラダも美味しかった。Katiはどこへ行ってしまったんだろう。急に好きな子が転校したみたいな喪失感。

「こいつ何言ってんだ?」って思われてもいいから、パッタイの作り方を聞けば良かったと今でも後悔してる。

そして、店長タイに帰っちゃったのかな〜?と悔やむ言葉をこぼすと、友達が「あの人、日本人っすよ」って返された。日本のどこかにいるのかもしれない。日本のどこかで料理をしているなら、死ぬまでにもう一度食べたい。美味しくて泣いてしまうかもしれない。それほど恋しい味。

なんというか、こういう感動と出会った時は必ず離さないようにしなければいけないなと思った。パッタイ…食べたい。

後先考えずに、いいと思ったものはいいと伝えるべきだ。
どうしたいかも伝えるべきだ。始めるべきだ。
その機会を逃すと、あとは失うためだけのカウントダウンと同じだと気付いた。後悔しないように生きていこうとパッタイから多くを学んだのでした。

Photo by Vic Tor from Pexels

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。