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1/3の速度で得られるもの

この前、ゆっくり歩くおじいさんが目の前にいた。
打ち合わせまでには少し時間があるので、試しにこのご老人の速度で打ち合わせ場所まで向かってみようとググッと速度を落とした。

歳を重ねることで体の衰えがそうさせるのかもしれない。
最初はそう思っていたけど、歩いてると違うかもしれない。なんて思ったのだ。

みんながいつもどの程度の速度で暮らしているか、わからないけどなんとく今の1/3の速度に落とし見てる感じ。ゆっくり、まったり、おおよそ今働いている人では休日ですら出さない速度で老人は歩いていた。

この速度に落とすとよくわかることが多い。足の裏の感覚や、ぴーちくぱーちく鳥が鳴いてることに気づいたり、おっと、あそこのカップルはもめもごとをしてるなぁとか。あの夫婦は良い年齢だけど手を繋いでいて幸せそうだなとか、子供にしゃがんで話しかけてるお母さんの表情がとても柔らかいんだなとか。

風がさわさわ木々を揺らして、自分を撫でていく感じや木漏れ日の揺れ動き、川のせせらぎが手に取るように見えてくる。無機質だった世界が急に立体的に感じれる不思議な感覚。

そもそも、このくらいの速度で僕らは暮らしてたのかもしれない。
あっという間にメッセージは届いて、共感も好感もすぐに交換可能で。
人の心が感じれることの多くがとても高速な世界に僕らは生きてしまっているだけで、本来、世界はこの速度で回っていたのかもしれない。

たった10-20分のことである。でもすぐにわかったのは僕は生き急ぎすぎているということと、それで多くの小さなキラキラを見落としているということ。

生きる速度をグッとセーブして、その時、その瞬間を感じて生きるってことを実は先人たちは当たり前のように暮らしていたのかもしれない。そういったささやかだけど世界を形作るものたちを今の僕らはポロポロと気づかぬうちにこぼしていって、得るべき感覚をオンラインの擬似的なもので補っているだけなのかもしれない。

歩く速度をちょっと遅くするだけで、驚くほどに世界の素晴らしさを感じたことをここに共有したい。方法はゆっくり歩くだけ。たったそれだけ。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。