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アートとデザインの違いと必要性

弊社のシックスマン(弊社一人だけどスーパーサブ)から、こんな質問をもらった。noteのネタにしてくだせーというQ&Aに今日は回答してみる。

質問
①アートとデザインとクリエィティブの違いや同一性
②クリエィティブ、ないしデザインの必要性

この質問の大前提として、クリエイティブ・デザイン・アートが求められない環境への転職を検討している中で感じてる疑問とのこと。

アートとデザインとクリエイティブの違い

ここはメジャーな回答とすれば、「アート→問題定義」「デザイン→問題解決」です。なんだけど、これはちょっと僕の中で若干だけ違ったりする。
あんまりこの手のことを語らない(クリエイティブという言葉があまりすきじゃない)のもあり。ざっとこんなイメージ。

わかりにくいかも。あくまで僕の脳内です。まずCreativeという言葉だけが結構一人歩きしていますが、その対岸に模倣的という意味のImitativeという言葉があります。

ARTがImitative領域にくると模写になり、作品ではなくなるか贋作になる。
なので私のイメージではCreativeを土台にしているのがARTです。ただし、Creativeだと表現できる時点でARTの本質的な価値は失われるような気もしていて、それをはみ出した先が僕がARTと感じるところです。世の中には沢山の作品や作家がいますが、こいつはなんだ!?と本能が足を止めてしまうほどの不可解性をもつ表現に至る領域を僕の中でARTと捉えています。

そして、DESIGNは逆にImitative領域を土台にしています。多くのDESIGNはこれまでの造形からの学びやアップデートで今日に至ります。DESIGNの語源をおいかけると「指し示す」という意味で、DESIGNそのものが一定の機能と役割、ひいて言えば貢献を求められます。そういった意味でもiPhoneに似たスマホが沢山出回るのも、創造的な軸より、模倣しより高い利便性の階段を登ろうとしているからだと思います。最近ではUIデザインについての議論が盛んですが、この領域はCreativeとういうよりはImitative。斬新な生まれたままのUIは、ただ使いにくいだけのものとなり、本来の機能と機会を損ないます。なので現時点で見るとDESIGNは、この領域にあります。

アートとデザインの意味が混在する理由は、このImitativeの考え方が日本には浸透していないからだと思っています。ですのでDESIGNがそのCreativityを突き詰めて(そのニーズがある場合)ARTの領域に食い込んでくることがあるでしょう。Creativeの土台が被るARTとCREATIVEに置いて閲覧者の混乱を産むだけのことで、これがアートなのか、デザインなのかという議論は松倉としては不毛だと思っています。心が動かされるかどうか、それだけの問題であり、小難しいこと考えがちなのは大人だけかなと。子供に見せたら速攻レビューしますし、大人もそのくらいで良いのかと思います。極論ですが、好きか嫌いかそれだけかなと。

しっかり区分けするなら、僕の中でこういうセパレートになっています。

クリエイティブないし、デザインの必要性

結論からいうと、必要ある。
というのも、僕らが子供の時に、トンボの羽を見て綺麗だなとか、花火大会でポカーンと見上げてしまっているあの感じは僕らが美を感じているから。僕ら人間は美しいもの(個別で異なる)にフォーカスを当てる習性がある。

そもそも人間自体がクリエイティブが故に人間たらしめているところがあるので根源的にいうと必要があるというか備わってる。何を持ってデザインやクリエイティブと捉えるかによるが、ボロボロの屋台にもクリエイティビティはあるし、デザインも宿っている。ラブホテルにも様々なコンセプトの部屋があり、それぞれがしっかりデザインされている。
問題はそれを識別する人の認識にあり、ラブホテルで部屋を選ぶ時に人はデザインを意識してない。自身が持つ欲望に沿った部屋を選ぶんじゃないか。そういう意味でデザインは無色透明の人の行動を生み出し指し示す存在として機能している。

逆に市役所や病院といった場所には、まだ僕らのいうデザインやクリエイティブは到達していない。部分的にあると思うけど。なぜかというと、デザインより先に優先すべき機能があるからであり、例えば病院のデザインを一新する!というお金より、できるだけ多くの人の病を治す機器や人員にコストを割くのが組織として正しい判断だと思う。

逆にビジネスとして見た時に街の歯医者はどこもおしゃれなところが多い。古いボロボロの歯医者にいくより、小綺麗で新しい所の方がなんとなく良い気がする。おそらく多くの人が病院より歯医者に行く方が頻度が高い。より人の日常に介在する可能性が高いセグメントは、デザインの必要性を重視する傾向になる気がする。

昔、IDEOが病院の事例を紹介していた。CTスキャンが必要な子供がじっとしてられなくて、正しく計測できないという課題を持つ病院に、数冊の絵本とスキャンルームの壁紙を簡単に変えれる工夫をした。リサーチすると子供たちは怖くてじっとしてられない。であれば、CTスキャンに入る体験をエンターテイメントに変えてあげれば良いという発想だ。CTスキャンに入る前に子供が好きな物語を選ぶ。子供たちが読む物語には、必ずCTスキャン的なものに入るエピソードが添えられている。内容までは知らないが、宝探しとかだと地下に潜る洞穴に入るとかだと思う。子供が読んである間に物語の1pを彩る壁紙に変えておく。じゃあ、続きは冒険ルームへ行こう。という算段だ。これで飛躍的に精度があがったらしい。子供用のCTスキャンを導入するよりよっぽど安価な上、楽しい。

あらゆる施設やプロダクト、サービスにとって、クリエイティブやデザインが必要なのは明白である。が、ここで誤ってほしくないのは、それらは場が持つ強さではなく、人が生み出すものという点だ。

なので、空間としてデザインもクリエイティブも必要ないような場所なんて無尽蔵にある。それはそこにそういう人がいないだけであって、どの場においてもこれらは有効に機能する。墓場でも病院でも、空き地でもだ。そもそも人自体がそういう能力を持った生き物であり、それを発揮した場所がデザインやクリエイティブで注目を集めている。ただそれだけのように思う。

なので結論としては。必要とする人が必要を作るということになる。求めなければ何もないのだと思う。

まとめ

こんな回答で大丈夫だったかな。
アートやデザインを言語的に扱ってしまうとどうしても本来のポテンシャルを活かせないんじゃないかと思っている。なのであまり今まで語ったことはなかったけど整理するとこんな感じです。

僕にとってみると、どちらももっと根源的な発露から生まれ、結果的にアートであったり、デザインというものに至っている気がする。
心の中にあるものを吐き出したいと思ったら、壁画や詩になっているかもしれない。困ってる人を助けたい!と思ったらプロダクトができているかもっしれない。大事なのは根元の○○したい!というモチベーションであり、結果がアートであれデザインであれ、それは後付けされたタグでしかないような気がしています。

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ごちそうさまです!
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Subaru Matsukura(松倉 早星)

Nue inc 代表取締役 / コンセプトデザイン / プランナー / 二児と3匹の猫の父 / 仕事の説明がとても難しい仕事 / www.nue-inc.jp/

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100個までしかノート作れないことに気づいた。 二冊目ノート。
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