古文漢文オワコン論

久しぶりに文章を書くので、当たり障りのない、抽象度を下げた内容を扱おうと思う。

正直、受験という世界に傍観者として対峙する個人としては関心の低い内容ではあるけれども、先日のAbemaで議論されているのを見て、その問題提起の仕方に少し違和感を感じた。

先に僕の立場を示してから話題に入りたいとは思うのだけれど、そのためにはこの論題の少し込み入った構造を明かさないといけないので、結論は最後にまわそうと思う。

まずAbemaでどういったことが議論されていたのか軽く示すところから始めたい。

構図を簡略化するために、登場人物を三人に絞る。

まず古文漢文廃止論者としてひろゆき、その対立側として古文講師の吉野敬介、それから日本文学研究者でブルガリア人のツベタナさんという女性。

ひろゆきの主張としては「古文漢文よりも実生活でより役に立つ確定申告のやり方やPCのスキルを学ぶべき」という、古文漢文が教育に占める優先順位の低さを指摘したものだった。

一方でツベタナさんは、「日本人の文化的なツールを知ったり、自然と向き合った時の昔の日本人の心の動きを学べる」という精神的な側面の教育における価値を提示した。その上で実際の教育現場で行われていることは単なる暗記に回収されてしまっており、それを実践できていないとして、吉野さんに話を振る形になった。

これを受けた吉野さんとしては「受験生には他の科目も勉強する必要があり、とりあえず単語の意味や文法を詰め込むことが時間的な制約の中では効率的であって、その価値観自体は否定しない」というなんとも弱い返しになっていて、古文漢文廃止論に対するカウンターが、大学受験という制度に関わっている吉野さんによって変換されて結局廃止論の立論に貢献しているような格好に見受けられた。

ここまでが大体の議論の大筋で、途中の「実はひろゆきは受験生時代に吉野先生に教わっていた」という暴露で爆笑が起こり、そのあとは特に新たな論点が出ることなく終始した。

こういうユーモアから人間味を伺わせるひろゆきが僕は大好きなのだけれど、まあここでは置いておこうと思う。

さて、おそらくこの問題の裏側には、先ほども少し触れたように、「教育においてどういった人間を形成していくべきか」という問題と、大学受験の「どうやったら効率よく人より多くの得点を取ることができるか」というゴリゴリの合理化思考の摩擦が隠れている。

つまり、本来の、美意識や文化的ルーツを古典文学から得るという目的設定が、大学受験というフィルターをくぐった瞬間に、サ変動詞の活用とか、返読文字の読み方とか、そういった均質化された情報の暗記ゲームに姿を変えてしまっている。

さらにこの変身が、ひろゆきの言うような科目としての優先順位の低さを招いてしまっているのでより厄介なことになっている。

ここからは個人的な見解に話を移すけれども、まず僕は、ツベタナさんの言う通り、教養として美意識を獲得することの重要性については完全に同意する。ひろゆきが様々な媒体で主張するプログラミング的な思考回路だとか、数学的な論理力の重要性と同程度に、その思考プロセスが良いのか、正しいのか、あるいは善的であるのかどうかといった価値基準を獲得することも僕らが生きていく上では必要だと思うから。僕らの思考回路を俯瞰的に眺めるそういった美意識こそ、AIにはない人間らしさを膨らませるものだろう。

それから、ひろゆきは「精神性を豊かにすることが目的なのであれば古文漢文ではなくても現代の漫画でいいじゃないか」というような趣旨の発言をしていたけれども、これには反論したい。

現代で賞賛されている全ての作品が、今後の価値観の変遷のなかでも枕草子のように今後何十世紀にも渡って読み継がれるかといえばそうではないだろうし、やはり古典文学がこれまで残ってきているというのは、それなりに人間一般に対する高い普遍性を含有しているということであって、原文ではないにせよ題材としては古典文学を扱ってもいい気はする。

ただ一方で、教育現場の実態としてはそういった美意識を育むというような方向には進んでいなくて、暗記重視の現行のシステムを継続するのであれば、ひろゆきの指摘した通り相対的な重要度は低いままであるということも事実だろう。

最初にも書いた通り、個人的はその道を通ることなく大学に進学する身分なので、僕はより長いスパンで見た時の人格形成の方が重要であると考えるし、大学受験という僕の大嫌いな制度のおかげで古文漢文教育が相対的に不要なものに作り替えられているというのは、文学を志す人間としてももったいないと感じた。

大衆向けのコンテンツとしては討論形式をとった方が面白かったのだとは思うけれども、この問題は、実はあの番組のように二元論的に論じるべきではなくて、大学とその周辺の制度についても包括的に考えなければならないような、そんな気がした。


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