見出し画像

008 北海道士別市とサフォーク羊のはじまり

僕が1990年に生まれたときには士別はサフォークランドとして、そこに在り、当たり前に18歳まで士別で育ってきたが、その成り立ちなんか気にしたことがなかった。
29歳、Uターンをきっかけに、なぜ士別がサフォークランドとして在ることになったのか、知りたいと思い、成り立ちの初期に詳しい方に聞いてみた。

画像6

サフォークのマンホール蓋

市民運動とまちづくり

 1979年(昭和54年)は、1899年 剣淵川から上陸した最後の屯田兵入植による開拓の鍬が入れられてから80周年を迎える年であり、市制施行25周年の年であった。当時の青年会議所(JC)内では、未来都市「士別」はどうあるべきか!市民として何ができるか!そんな思いが沸き上がっていた。JCは同じく「まち」に憂いを感じていた市民の方々と一緒に音頭を取り、呼びかけを行い、市制施工日である7月1日、当時の市民会館大ホールにおいて市民集会を開催したのである。
 トークイン79「水と土と心」と題し、開拓から当時に至るまでをスライドにして上映。集まった市民と共に「まちに対する情熱を掘り起こす!」の意気込みを現したのである。この活動はJCと未来に憂いを感じていた市民有志が中心となって「市民会議」へと発展し、昭和55年56年の2ヶ年を「調査の年」と位置づけ、市民アンケートなどを通して経済や雇用、人口減、まちの魅力などを議論し分析を重ねていった。歌志内市や赤平市には炭鉱の閉山などはっきりとした原因があって人口が減少したのは理解できる。士別は昭和36年、41,147人の人口がありながら、昭和55年には28,970人となっている。過去には小樽商人・士別証人とまで呼ばれたこともあり、特に「澱粉の相場を左右したほど」だったといわれたこの町は直接的な人口減少の原因が掴めないまま減っていたのである。
 市民会議に参加した市民たちは「何かをしなければ」そんな思いをもって「士別に眠る素材」を探した。このまちの「目玉」になる素材は何?米は?野菜は?畜産は?林業は?既に各団体や組織が対応している。
 然し、農業・工業・商業の垣根を超えた何かを我々で出来ないか…?そうして探し当てたのがサフォーク種めん羊だった。

p00表紙 羊と雲の丘

サフォーク種めん羊

 士別市は昭和42年、全国に先駆けてサフォーク種めん羊100頭を「畜産振興と土づくり」を目的として導入した経緯がある。美味しいといわれる羊肉はホントに美味しい?羊毛の活用は?観光として売り出せないか?レストランを作ってみては?会議を通して参加した多くの市民は何より自慢のできる「何か」が欲しかったのである。

衝突から共創へ

 昭和57年、JCと農協青年部との対話集会を開いたのもこの時期である。思い起こせば普段あまり交流のない商業者と農業者が一堂に会して各班に分かれ、議論を交わすことなどなかったし「農家を利用する考えか!」など厳しい意見も飛び交ったが、これが契機となって互いの交流も深まったのである。
 士別のまちの顔はこれだ! JC(有野寿理事長)が音頭を取って設立できたのが「サフォーク研究会」(初代会長宮原允氏)である。もちろん数多くの批判があった。当時家畜の分類にも入っていない羊(現在も家畜分類ではない)は、食肉としての採算面での見通しはほとんど立っていなかったし「羊でまちおこしなんかできるわけがない!ネクタイして議論して何ができる!当然な意見でもあった。しかし、他市町村のどこも手を上げてないときに「士別」が頑張れば一等賞が取れるのではないか!将来、農業・商業・工業の垣根を越えた連携ができるのではないか!
 「羊の腸ってテニスラケットのガットに使われたり、手術の縫合糸に使われているんだって?」「羊の血清は高く売れるって聞いたけどホント?」「羊毛は使える?」「食べたことないけどラム肉って何?美味いの?」「羊なんて草食わしときゃいいんだろ?」その程度。すべてが素人の集まりで羊の事なんか解るわけがない。ましてや羊を素材にして「まちおこし」って何したら良いのか。正直、参加された研究会会員の大半は疑心暗鬼であった。唯一のよりどころは、当時士別信金に勤務されていた宮原允氏とJCによる「サフォークインダストリー構想」だった。簡単に事は進まない、20年を超える運動を覚悟して進もう!ただただその情熱だけで会員が動いた。当時の市営めん羊牧場の金井場長から協力頂いたり、当時滝川農業試験場めん羊科長であった平山秀介氏の協力を頂くことが出来たことは大きな事だった。

画像5

実直が呼んだ共鳴

 昭和58年、むさ苦しい男達が中心のサフォーク運動であったが「私たちもまちおこしに参加したい!」と共鳴して生まれたのが婦人サークル「くるるん会」である。サフォーク研究会活動と公民館事業の一環で開催した「暮らしの紡ぎセミナー(羊毛を活用した糸紡ぎ体験)」に参加した婦人たちのまさに「勇気」であった。

画像2

 くるるん会、活動の様子

 市も動きを見せた。当時の国井秀吉市長は不採算であった「めん羊基地」は士別市としても「お荷物」状態であった中、市民運動の高まりを受けた市長は、行政は市民運動をバックアップするのが使命であるとして総務・経済・建設のどの部署にも属さない市長直轄の部署「開発振興室」を設置、職員を配置して支援体制を創った。


市民運動から法人設立

 こうした活動は、地元紙はもとより北海道新聞など全道版で取り上げられたりNHKなどTVでも報道されるようになった。取材記者たちも「サフォークって何ですか?これから何をしたいのですか?」他のまちでは取り組んでいなかったことが取材の決め手になっていた。極めつけは、日本経済新聞全国版で「サフォーク研究会」と「くるるん会」の活動が掲載されてあことであった。大阪市にある東洋紡績株式会社羊毛部門の担当者が士別の記事を見て関連企業担当者と共に直接士別市に訪れたのである。「毛100%を使い、手作業で紡いだ毛糸を関西中心に販売したい!協力してほしい!」・「東洋紡績はダイヤ毛糸を製造しているが、国内産羊毛を手編み糸として飼養したい。道内産羊毛を集めてほしい。サフォークランド士別のブランド糸として販売したい。」この申し出により当時2代目会長の有野寿氏は会社を設立してでも対応したいと研究会会員に持ちかけた。当然のように「会社を作るなど早すぎる」と悲観的意見が多かった。この時、有野会長は「視察もした、子どもの使いじゃなく会社設立の話は決めてきた。みんなが無理なら一人ででも作る!」その言葉は逆に会員の心を打った。有野会長一人にするわけにはいかない。みんなで頑張ってみよう!こうして昭和60年7月資本金500万円で株式会社サフォークが誕生した。
 仕事を発注するほうも内職者もみんな素人。あんな会社一年も持つはずないわ!などと陰口を言われ、事実大変な時期を何度も過ごすこととなったが、当時の市の担当者が積極的につないでくれた北海道展(伊勢丹本店・阪急本店)や全国職人展に参加してきたことが現段階では手作り毛糸を作り、手編み作品を製作できる会社は国内で該社しか残っていないのである。
 これが士別市とサフォーク羊の創成期の話である。

株式会社サフォーク 前田 仁編(2015)『サフォークランド士別』



年表

【明治32年(1899年)】士別に屯田兵入植
【昭和42年(1967年)】北海道が昭和40年代に導入したサフォークを、士別市も食肉用として、オーストラリアから100頭輸入し、めん羊牧場で飼育をスタート
【昭和44年(1969年)】さらに100頭のサフォークを輸入し、繁殖体制を確立
【昭和54年(1979年)】青年会議所(JC)と市民による市民集会トークイン79「水と土と心」を開催。市民会議へと発展する
【昭和57年(1982年)】サフォーク種の多岐にわたる活用と付加価値の向上による産業活動への結び付けとともに、市民と行政が手を携えたなかで地場産品の開発を進め、地域経済の活性化を検討するための市民組織として「サフォーク研究会」が設立される
【昭和58年(1983年)】「開発振興室」設置。サフォーク原毛の染色手紡ぎ技術講習の公民館講座「暮らしの紡ぎセミナー」の開催を契機に、受講者20数名で「くるるん会」が組織される
【昭和60年(1985年)】サフォーク紡ぎ糸、ニット製品、肉などのオリジナル商品及び地場特産品の販路拡大を目指すため、市民65名の出資による市民会社「株式会社サフォーク」が設立され、道内外における物産展での販売、地場特産品の総合的な展示販売を展開する
【昭和62年(1987年)】士別市観光開発基本計画が樹立、サフォークの振興策が具体的になり、サフォーク飼育農家の育成、飼育研究を目的とした「士別市サフォーク生産振興協議会」が設立される
【平成2年(1990年)】羊の生産振興と羊を活かしたまちづくりについて討論する「全国めん羊フォーラム」が開催され、全国各地から参加者が集まる。食に対する羊肉のPRと、めん羊生産者普及を図るためのイベント「第1回サフォーク市民の集い」が開催される
【平成3年(1991年)】体験学習施設として「羊飼いの家」が建設される
【平成4年(1992年)】第3セクター「羊と雲の丘観光株式会社」が5千万円の資本金を持って設立され、「羊飼いの家」の営業を開始。あわせて、ひつじヶ丘体験広場「百樹園」が整備される。
【平成6年(1994年)】世界9カ国の羊30種60頭を収容飼育し、羊とのふれあいを体験できる施設として「世界のめん羊館」がオープン。※そのうちの8種類は、日本国内でも士別市にしかいない貴重な羊です

サフォーク


【平成11年(1999年)】士別市開基100周年を記念し、市民の観光意識を盛り上げる事業として「羊と雲の丘牧柵整備とフラワーロードの造成」を市民227名のボランティアにより実施する。また、平成6年より交流を進めてきたオーストラリアのニューサウスウエルズ州ゴールバーン市と姉妹都市調印を行う。
【平成15年(2003年)】干支が未年であることから「未来にまちをウルゾー会」が設立され、羊に関するイベントを実施。
【平成17年(2005年)】士別・朝日合併。サフォークランド士別プロジェクト設立。第1回サフォークランド士別フォトコンテスト開催。羊肉ブームを契機とし、地元産サフォークラム肉を食材としたオリジナル料理を、市内3つのレストランで提供開始。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?