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須賀敦子が歩いた街 6.

ジェノヴァ

ジェノヴァは、須賀敦子にとって特別な街であったに違いありません。まず、彼女が1954年の夏の日、最初にヨーロッパの土を踏んだ場所がここ、ジェノヴァであり、それからのちに夫になるペッピーノにはじめて会ったのも、ここジェノヴァだったからです。須賀敦子ほどドラマティックな要素はないものの、実は私にとってもジェノヴァは特別な場所です。ここで、私のイタリアに対する印象を変える小さな出来事が起こったからです。

今でこそ、イタリアにぞっこんの私ですが、実はこの国に対する私の第一印象は最悪でした。

2011年12月13日、私は東京での生活を完全に引き上げ、ドイツにやってきました。まだ自分が東京からドイツに送った荷物も届かないその10日後、私は夫とともにイタリアに向けて旅立ちました。クリスマス休暇をフィレンツェにいる夫の叔母と一緒に過ごすためです。

ところがこの旅行、最初から最後までトラブル続き。しかも、私が東京の感覚をそのままイタリアに持ち込んでしまったせいで、レストランでも店でもホテルでも、イタリアのすべての人々の対応がのらりくらりといい加減なように見えて仕方ありません。何もかも思うようにいかないことに加え、英語がほとんど通じないことも、私のイライラを募らせました。イタリアを去る時、飛行機の窓から遥か彼方に小さく霞むブルネレスキのドームに向かって「二度とくるか、馬鹿野郎」と毒づいたことでバチが当たったのか、ドイツに帰ったあとすぐにノロウィルスで一週間寝込むというオマケ付き。初めてのイタリア旅行は、人生始まって以来、最悪の旅となりました。
しかし、私はフィレンツェの叔母は一目で大好きになりました。叔母に会うためには何としてもイタリアに行かねばなりません。その後も、春、冬、春、冬と繰り返しイタリアに行くことになるのですが、叔母に会えること、食べ物が美味しいことを除けば、イタリアに対する不信感はその後も消えることなく、私の心の底に残り続けました。

ジェノヴァへは、2014年12月に行きました。

到着して何日目だったか。私たちはカメラを手に、瀟洒な邸宅が並ぶ裏道を散歩していました。その中でもひときわ目立つ立派な建物を見つけ近付くと、扉の一部はガラスになっており、中の様子を見ることができます。素晴らしい階段ホールがありました。扉をそっと押してみると、鍵がかかっているのかビクともしません。それでも諦めきれず、扉に張り付いて曇った古いガラス越しに目を凝らして中の様子を眺めていると、後ろから年配の男性が近づいてきました。観光用に公開された建築物でも何でもない建物に、こんなふうにベッタリ張り付いていて、「怒られるかな」と一瞬思ったのですが、この男性、ポケットから出した鍵で扉を開けると、端のほうで縮こまっている私たちに向かい、「どうぞ」と手招きします。

「中に入ってもいいんですよ。お入りください。どうぞ中を見ていってください。」

見知らぬ男性が静かに語りかけるイタリア語を、夫がそう訳してくれました。
その時、撮った写真が以下の写真です。

何ということのない小さな出来事でした。この後も、あちこちの街で、私は同じような心遣いを受けることになります。でも、この男性との出会いは、私にとっては何か特別だったような気がします。ちょうどアンデルセン童話の「雪の女王」に登場するカイ少年のように、それまで私の心には鏡の欠片が突き刺さっていて、それが、この男性が扉を開くと同時にそれが静かに溶けたような、そんな気がしました。

よくよく考えればなんでもない、ちょっとした出来事が、後から考えると後々の考え方・生き方に対し決定的な意味を持っていた...、人生にはそういうことがあると思います。例えば、私がプラハの裏通りにある小さな本屋で、とある写真集を偶然手に取ったことがそうでした。そして、私とイタリアの、その後の関係を方向付けることになる小さな出来事が起こった街が、ここ、ジェノヴァでした。ですから、ジェノヴァは私にとって、やはり特別な街なのです。

後記

少し長くなりますが、ここにもう1件、イタリアでの忘れられない記憶を書き留めておこうと思います。それは、オルヴィエートへ行った時のことでした。
私たちはブラブラとこの古い街を散歩していました。しばらく当てもなく歩き回っていると、行き止まりの道の傍らにひっそりと建つ古びた小さな教会のドアが空いていることに気付きました。通常、このような地元の人々が日常的な祈りの場として利用するような教会はドアの鍵がかかっていることが多いのですが、この教会の扉は半開きになり、その奥に暗闇が広がっていました。好奇心からちょっと足を踏み入れてみました。聖堂の椅子の目立つ場所には、ヨレヨレの紙袋がポツンと無造作に置かれています。

オルヴィエートの人々の日常生活の場をのぞいているような気分になり、ゆっくりと聖堂をひとまわりしました。その間、5分くらいだったでしょうか。いや、何件か写真を撮ったりしていたらか10分くらいだったかもしれません。そして、私たちは外へ出ました。外には作業車が止まっていました。その車に乗っていた作業員の1人が、私たちが聖堂から出たのを見ると車からピョンと飛び降り、教会の扉へ向かって歩き出しました。「あれ?」と思って振り返ると、彼は先ほど聖堂で見かけた紙袋を片手に持って、ガチャガチャと教会の扉に鍵をかけています。呆然と立っている私たちに軽く片手を上げると、男性は車に乗り込みました。

運転席に座っている男性がすぐに車を発進させ、その車が角を曲がって姿を消すと、12時を告げる教会の鐘があちこちで鳴り始めました。そう、教会での作業を終え帰ろうとして彼らは、突然迷い迷い込んできた観光客のため、自らの昼休みの時間を遅らせて屋外で待っていたのです。「コラコラ、ここは観光名所じゃないんだから」などと追い出すこともなく、紙袋を取りに聖堂へ入ることもなく、私たちがゆっくり見学して外に出てくるのを、果たしていつ出てくるかもわからないのに、黙って外で待っていてくれたのです。その事実に気付いた時、私たちは言葉もなく暫くその場に立ち尽くしていました。

(この記事は、2019年7月10日にブログに投稿した記事を若干修正した上で写真を追加し、後記を書き加え転載したものです。)