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須賀敦子が歩いた街 1.

ウディネ

かつて須賀敦子が歩いた街のいくつかを、まだ須賀敦子を知らなかった私もやはり歩いています。彼女のエッセイを読みながら「あら、私もここへ行ったのよ。写真もたくさん撮った」と、遠いところにいる彼女に話しかけてみたり。須賀敦子に写真を見せるような気持ちで、彼女がかつて歩いた街の写真をここに並べていこうと思います。はるか彼方から「あら、やだ、イタリアって何百年経っても大して変わらないと思っていたのに、ここって、たかだか数十年でこんなになっちゃったのね」なんて彼女の声が聞こえてきたりして。

まずは、1961年11月15日、須賀敦子がペッピーノと結婚した教会があるウディネの街から。松山巖作成の詳細な年表には、こんなことが書かれています。

結婚式の司祭はダヴィデ神父。「時のひと」であるダヴィデがテレビ局を内緒で呼び、結婚式はテレビ中継される。式後、しばらくウディネに滞在。ダヴィデのさそいで海辺の町へ旅行。ダヴィデがいつも一緒なのでイライラする。

『須賀敦子全集 第8巻』河出文庫, 2007年

そりゃ、イライラするよね。

後日、須賀敦子がペッピーノと結婚式を挙げた教会は、一体どこにあるのだろうと色々調べてみました。その教会は、私たちが雨のなかフラフラ歩き回った旧市街から丘一つ越えた、少し離れた場所にある教会のようです。でも、肝心の教会の名前を控えておくのを忘れてしまったのに加え、何にそう書かれていたのかも忘れてしまいました。まったく、何をやっているんだか。もう一度ウディネに行く機会に恵まれたら、事前にきちんと調べて、しかもその結果を忘れずメモしてから行こうと思います。

後記

一度は訪れておきたい素晴らしい場所が北から南まで乱立するイタリア。そんななか、ウディネという地名を聞いたことがある人は少ないのではないでしょうか。実は私も須賀敦子に出会うまで、この街の存在を全く知りませんでした。
イタリア北東の端に位置するウディネ。たいそうな田舎町を想像していたのですが、とんでもない。良く保存された旧市街には、立派なカテドラルがあり、時計塔のある美しい広場があり、丘の上には美術館に転用された城があります。もしウディネがドイツに存在したとしたら、名だたる観光地になっていたに違いありません。
ウディネを訪れた日は、一日中雨が降っていました。その時は「遥々ここまで来たのに天候に恵まれず、なんて残念なこと」と思ったものですが、今ウディネのことを考えると、しっとりと湿った道、ひと気のない通り、そこを時折横切る傘をさした人の後ろ姿などが次々が頭の中に浮かんできます。そして最後にどこからもなく聞こえてくるのは雨の音。…そういった意味でウディネは私にとって少し特別な街になりました。

(この記事は、2019年7月3日にブログに投稿した記事に若干写真を追加し、後記を書き加えた上で、転載したものです。)