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須賀敦子の背中を追う 3.

ヴェネツィア

ザッテレ(Zattere)。
ヴェネツィアで須賀敦子の背中を追う場所は、ここと決めていました。

ヴェネツィアにも持参した本『地図のない道』はヴェネツィアに関するエッセイを集めた小さな本ですが、ここに収録されている『ザッテレの河岸で』というエッセイのなかで、ザッテレの河岸について須賀敦子はこんなふうに書いています。

アドリアーナとザッテレを歩いたあの日から、私は、仕事に疲れたときやひとりでものを考えたいとき、そして授業の準備をするときにも、この河岸の船の発着場に面した庶民的なカフェテラスで時間をすごすことを覚えた。

須賀敦子『地図のない道』新潮文庫, 2002年

須賀敦子の背中を追いかけるのなら、この場所。ヴェネツィアに行くと決めた瞬間から、私の心は決まっていました。

『ザッテレの河岸で』によると須賀敦子は「私が定宿にしているホテル」は「アッカデミア美術館に隣接」していると書いています。ヴェネツィアの表玄関であるサンタ・ルチア駅を大運河(Canal Grande)の北西にある「入り口」と考えると、このアッカデミア美術館(Gallerie dell'Accademia)は、南東にある「出口」に近い場所に位置します。ザッテレはそこから更に南に5分ほど歩くと突き当たるジュデッカ運河に面した河岸です。
私たちは大運河の入り口に近い場所に宿泊したので、ヴェネツィア本島南側を徒歩で横切りザッテレに向かうことにしました。

今日は一日、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、というようなとき、ヴェネツィアの人は上がったり、下りたり、という表現をよく使う。[...] さきにも書いたように、たとえ小さな橋でも舟が下を通れるように反り橋になっているから、橋を渡るたびに、階段を「上がっては、下りる」ことになる。

須賀敦子『地図のない道』新潮文庫, 2002年

ヴェネツィアの道を表現するならば、まさに須賀敦子が書いているとおりなのですが、これに加えて特筆すべきは、とにかく道幅が狭いこと。人と人がすれ違うのがやっとという道も数多くあります。そして、その狭い道をはさんで高い建物が並んでいること。まさに、限られた土地を無駄にしないよう、一寸も惜しんで建物を建てまくったという感じ。私たちがヴェネツィアを訪れたのは冬でしたが、仮に夏だったとしても、高い建物に囲まれた細い路地は、昼なお暗いに違いありません。
そんな迷路のように入り組んだ暗い路地を、何度も何度も曲がりながら、時には迷子になりながら、ひたすら南へ南へと歩き続けると、突然、パアッと目の前が明るく開けます。ザッテレの河岸に出たのです。目の前を、大河のようにも見えるジュデッカ運河(Canale della Giudecca)がゆったりと流れています。この「たった一歩で、暗闇から光の中に一気に踏み出す」感じ。これだけでも十分、私はザッテレの河岸が好きになってしまいました。

最盛期の観光シーズンではない冬だったせいか、観光名所から少し離れた場所にあるザッテレの河岸には、ほとんど人影はありませんでした。燦々と日の光を浴びながら、静かな河岸で二人の男女が海鳥に餌を与えていました。波の音、船の汽笛、鳥の鳴き声。私の耳には様々な音が届いているはずなのに、まるで無声映画を見ているように感じられた光景でした。

「須賀敦子が一人ものを考えた庶民的なカフェは、一体どこにあるのだろう」とあたりを見回すと、たくさんの椅子が並んだカフェテラスに、ポツンと一人座り新聞を読んでいる小さな背中がありました。私は反射的にそちらの方向へ駆け寄りました。一瞬、須賀敦子の後ろ姿のように見えたのです。近くによるとそのひとは男性でした。でも、私はその時何となく「わかった」のです。ああ、かつて須賀敦子はこうして一人、ジュデッカ運河の方向を向いて座っていたのだ、と。

ジュデッカ運河の向こう側に、彼女が大好きだと書いているレデントーレ教会( Il Redentore)の姿を臨むことができました。しばらくその教会を眺めていると、突然、目の前の船着場から小さな舟に乗った年配の男性が向こう岸に向かって舟を漕ぎだしました。ジュデッカは運河といってもかなり幅が広く、波も少なからず立っています。須賀敦子が「さぶんざぶんと景気のいい波音」と形容した波です。小さな手漕ぎの舟は、その波に押されて、間断なく上がったり、下がったりを繰り返します。いくら天気が良く暖かい日だったとはいえ、一月です。誤って水に落ちたら凍えてしまう。はたから見ていると、舟は波に弄ばれているようにしか思えず、「大丈夫なのかしら」とヒヤヒヤしましたが、舟を漕ぐ男性は全くひるむことなく、対岸に向かって艪を器用に操り、確実に舟を漕いでいきます。まるで一心にレデントーレ教会を目指しているかのように。彼の白髪が日に輝いてみえました。
次第に小さくなっていく舟を飽きずにずっと眺めていると、夫が私に声をかけました。「もう行こう。お昼の時間だよ。今日はどこで食べようか。」

夫とともにジュデッカ運河に沿ってザッテレの河岸をしばらく歩き、アッカデミア美術館に向かって北に道を曲がる前に、もう一度運河に目を向けると、小さな舟は既に見えなくなっていました。

後記

「◯◯のヴェニス(ヴェネツィアの英語名)」という言葉を頻繁に目にします。海に面していたり、運河が街なかを走っていたり、水が豊かな場所はそう名付けられるようですが、ヴェニスはヴェニスにしか存在しません。風土も歴史も文化も、他と比較することなど不可能なのです。たぶん一度でも実際にヴェニスへ行ったことがある方なら、私の言いたいことを理解してくださるに違いないと思っています。そう、ヴェニスはそれだけ特別な街なのです。イタリアには数え切れないほど美しい街や都市がありますが、その中でもヴェニスはその個性が際立っていると思います。何処とも比べられない唯一無二の場所。それが私にとってのヴェニスなのです。
そんなヴェニスは人に取り憑きます。コロナウィルス感染対策の規制が緩み、国外に出られるようになってすぐに向かった場所はヴェニスでした。転載するため記事を読み直したり、写真を見直したりしていたら、再び明日にでもヴェニスで行くたくなりました。ヴェニス、ヴェニス、ヴェニス…。どうやら私は完全にヴェニスに取り憑かれてしまったようです。

(この記事は、2019年6月30日にブログに投稿した記事に後記を書き加えた上で、転載したものです。)