見出し画像

アルプスの谷 アルプスの村

約35年ぶりに新田次郎の『アルプスの谷 アルプスの村』を読み直しました。

この本は、あとがきによれば、最初『山と溪谷』誌上に「夢にみたアルプス」というタイトルで20回にわたって連載した文章を、改めて文庫本にまとめたものだそうです。彼が山岳地帯を含むヨーロッパを3ヶ月かけて旅したのは、昭和36年(1961年)、49歳の時でした。

この本を読んでいてまず私の気を引いたのは、この明治生まれの頑固オヤジである新田次郎が、「西洋人に侮られてはならん」と気を張って旅している様子が、直接的に文字として書かれてはいないものの、行間から濃厚に漂ってくることです。日本の高度経済成長期は1954年から1973年と言われています。だとすると1961年はようやく日本の明るい将来が見えて、日本人が少しずつ自信を取り戻し始めた頃ではないでしょうか。サンモリッツでローマから来たという大学生に「日本は失業者が多いそうですね」と言われ、即座に「日本では人手が不足して困っています」と言い返した時の新田次郎の憮然とした顔が目の前に浮かぶようです。

今から60年前、日本に居てヨーロッパ人と直接触れ合う機会はほとんどなかったのではないかと思います。堂々とした大柄な体格のヨーロッパの人々を前にして、思わず身構えてしまう気持ちは容易に想像できますが、3ヶ月にも及ぶ長旅、この状態ではさぞかし気疲れしたのではないかと思います。そのせいでしょうか、山岳地帯の旅も後半になりフランスアルプスに入った頃から、風景に対しても土地の人に対しても、若干否定的な見方が多くなるような気がしないでもありません。

この本を読み、非常に印象に残った言葉があります。それは「スイスの美しさは作られた美しさだ」という言葉です。この言葉の後は、以下のように続きます。

スイスは確かに自然の美しさに恵まれている。だが、その美しさの背景となる、アルムも、森も、村も、教会もすべて人の手によって作られたものである。

新田次郎『アルプスの谷 アルプスの村』(新潮文庫)新潮社、2004年改版

この件について、自分の言葉を少し付け加えたいと思います。この美しさを作る努力とは、同時にその美しさを変えない、変わらないための努力であると言うことも出来るのではないかと思うのです。

私は30代の頃、毎年夏になるとスイスのベルーナー・オーバーランド(Berner Oberland、中央部)やエンガディン(Engadine、南東部)に出かけ、一人で黙々と山の中を歩いていました。今考えると、よくもまあ、そんなことが出来たものだと、我ながら思います。その後、スイスフランに対する円の価値が下落し、滞在費を考えると簡単にスイスには出かけられなくなりました。そしてそれをきっかけに、長い間スイスから完全に足が遠のいていました。2年前、夫が仕事でスイスの都市部に行くついでに、せっかくだから山岳地帯に立ち寄ってみようという話がでました。「行きたい場所を選んでくれ」と言われた時、私が迷わず選んだのは、ベルーナー・オーバーランド。実に15年ぶりの訪問になりました。

15年とは生まれたばかりの赤ん坊が、中学を卒業するまで成長する年月です。決して短い時間ではありません。きっとベルーナー・オーバーランドはすっかり変わってしまっているに違いない。出発するまで私はそう思い込んでいました。ところが、私を迎えたのは15年前とほとんど変わらぬ風景でした。私たちはその時、私が15年前に好んで宿泊していたラウターブルンネンにある小さなホテルに泊まったのですが、何部屋か増築されていた以外、エントランスも、レセプションのカウンターも、食堂も全く変わっていません。駅の規模も村の規模も、本当に何もかも、ラウターブルンネンは全く変わっていませんでした。村の建物ですら1件の増減もないような気がしました。この村を起点に、かつて歩いたハイキングコースを何本も歩きました。あまりにも何も変わっていないので、まるで知らないうちに時間の扉を開けて、自分が15年前に戻ってしまったかのような錯覚に陥りました。

15年間変わらないというのは、何もしないから変わらないのではありません。変わらないための特別な努力を積み重ねてきたからこそ、変わらないのだと思います。そしてきっと、「変わらないための努力」は、この現代にあって「変える努力」よりもはるかに困難で手間がかかるのではないでしょうか。日々たゆまぬ努力を続け、スイスの美しさを作り、維持し続けている人々に、頭が下がる思いがしました。

新田次郎の『アルプスの谷 アルプスの村』を片手にスイスを旅すれば、彼が60年前に見た風景、彼が「もう一度行きたい」と焦がれた風景を、きっと目にすることができると思います。

後記

このアルプスの風景を生涯にわたり描き続けてきた画家がいます。その名はジョヴァンニ・セガンティーニ(Giovanni Segantini)。私が大好きな画家の1人です。かつて、彼の絵見たさに遥々サンモリッツにある美術館まで行ったこともあります。新田次郎もやはりセガンティーニに対し並々ならぬ興味を持っていたようで、スイスを旅した際は、単に絵画鑑賞するのみではなく彼のアトリエや墓にまで足を伸ばしているのです。そして、その新田次郎、セガンティーニの絵は暗い、暗いと繰り返し書います。しかし、私にはそんな印象は全くありません。かつてサンモリッツで見た冬の死を描いた絵画でさえ、喪失という悲しさの中にあってもなお、微かな透き通るような明るさを感じた記憶が根強く残っているのです。本当はどうなのでしょう。当時30代だった私の若さ(そう、30代はまだ「若い」のです)が、セガンティーニの絵画に潜む暗さ、新田次郎は見ることができた暗さを見せなかったのでしょうか。今月もう一度それを確認するため、サンモリッツまで行ってきます。

(この記事は、2019年8月30日にブログに投稿した記事の写真を入れ替え、追加し、後記を書き加えた上で、転載したものです。)

この記事が参加している募集

読書感想文