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須賀敦子が歩いた街 5.

続・フィレンツェ

『レー二街の家』という須賀敦子のエッセイは、東京に帰って15年経った頃、彼女が頑張ってきた自分自身をねぎらう意味もこめてフィレンツェで休暇を過ごすことを思い立ったことから始まります。そこで彼女はかつてミラノに住んでいた頃の知人とばったり出くわし、話の筋はそちらに流れていくのですが、それでも時折、このエッセイの合間合間にフィレンツェの街の情景が描かれます。

[...] 私はひさしぶりに、サンタ・クローチェ教会のあたりを歩いてみようと思った。以前、研究のための資料をさがしに国立図書館に何日か通ったとき、目が疲れると外に出て、裏通りを散歩することがあった。馬具をつくって売っている店やら、どんな人間が買うのかと思うくらい、古風で重たそうな、あまり仕立てのよくない革の鞄をならべたウィンドウが軒を連ねるこの界隈は、観光用のけばけばしさがなくて、気持がやすまった。

『須賀敦子全集 第2巻』河出文庫, 2006年

たとえば、こんなふうに書かれている箇所があります。ここには通りの名前は一切出てきませんが、ここがどこのことなのか、私には何となく思い当たるような気がします。なぜなら、次にこんな文章が続くからです。

いったんアルノのほとりに出て、ポンテ・トリニタの橋から図書館のすこし手前まで、いかにも高級そうなホテルやブティックがあるかと思うと、さびれた宝石店が何軒かならんでいたりする河沿いの道を、ゆっくり歩いた。水のうえには、おそい午後の空気が淡いオレンジ色にたちこめていた。

『須賀敦子全集 第2巻』河出文庫, 2006年

ポンテ・トリニタと国立図書館の間のエリアを、彼女がゆっくりと往復している姿が目に浮かびます。実はこのあたり、私たちがフィレンツェに滞在してる時の、定番の散歩コースなのです。須賀敦子がこのエッセイを書いたのは、もう20年ほど前のことですが、ここは大聖堂からもシニョーリア広場からも少し離れていて、一年中観光客が絶えることがないフィレンツェにあって(比較的)人影が少なく、未だにちょっとほっとできる場所なのです。

慣れとは恐ろしいもので、最初にその姿を見た時は、その場に立ち尽くしてしまうほど感動して見入った大聖堂も、年に2回、3回と見ることを8年近くも繰り返すと、「あ、大聖堂、今日もきれいね」くらいにしか感じなくなります。そして、その大聖堂の周辺に、東京の通勤時間帯の山手線の中と比較しても決して少ないとは言えないほど集まってきている観光客の姿の様子に、自分たちもその観光客であるということを忘れて、まずうんざりしてしまうのです。
そして、そんな時、私たちはいつもアルノ川から一本入ったところにある裏通りに、逃げるように入り込んで行きます。

ここには、お気に入りの鞄店(ただし、決して仕立ては悪くありません)や、職人が一足一足手作業で仕上げている靴屋があったり、「食堂」と漢字で書いたほうがしっくりくる古いオステリアがあったり、道をちょっと折れると本のセレクションが素晴らしい小さな本屋があったり。何度歩いても、あきることはありません。ここはまさに「急がないで、歩く」道なのです。私たちのフィレンツェは、すべてこの裏通りを往復することで完結してしまうと言っても過言ではありません。
花と謳われた大聖堂、天までまっすぐに伸びる塔を持つヴェッキオ宮殿、それから、メディチ家のリカルディ宮、ウフィツィ美術館、アカデミア美術館、サン・マルコ教会...、ちょっとフィレンツェに思いを馳せただけでも、数えられないほど類稀なる建築物が直ちに思い浮かびます。でも、私はその一番の魅力は、それらの壮麗な建物の影に隠れるようにして、ひっそりと佇んでいる裏通りにあるのではないかと思っています。

地元の人が買い物袋を下げてゆっくりと歩いているデコボコの石畳の道。両側に高い建物が並んでいるため、昼なお暗く、ひんやりした空気を楽しめる細い道。世界有数の観光地・フィレンツェを訪れる観光客の人いきれに疲れたら、スルリと細い脇道に滑り込む。そんな楽しみかた、フィレンツェにはあると思います。

後記

つい最近読み終えた和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』。彼もまたフィレンツェを訪れています。そしてこんなふうに書いています。

フィレンツェには十五日の夕方に着き、アルノー川の岸のホテルに落ち着いて、翌日からまる三日間、方々を見学して回ったが、すばらしいものがむやみにたくさんあってすっかり圧倒されてしまった。印象を書き留める余力などまるで残らない。なるほど、よく言われるように、ルネッサンスの絵はフィレンツェへ来て見なければわからないというのはほんとうだと思う。

和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』岩波文庫, 1991年(2023年復刊)

そしてそのルネッサンス絵画が、これでもか、これでもかと詰まっているのがウフィツィ美術館です。私はこの美術館訪問に2回チャレンジしましたが、2回とも人混みに撃退されました。予約制をとり入館を制限しているはずなのですが、新宿の歩行者天国より激しい猛烈な人混みに負け、満足に絵画を見ることができなかったのです。おまけに2回とも冬季だったにもかかわらず人熱で館内は猛烈に蒸し暑く、残念ながら絵画鑑賞に集中することができる環境ではありませんでした。

ところでこの話には後日端があります。2022年春先、コロナウィルスがヨーロッパに上陸して以降ずっとドイツ国内に閉じこもりきりだった私たちは、初めて国境を越えました。行き先はヴェネツィアです。「少しずつ観光客数が戻ってきていますが、まだまだのんびり楽しめますよ」というホテルのスタッフの言葉どおり、まだ人影が少ない細い道を、春が静かに漂っていました。そして極め付けはアカデミア美術館。殆ど誰もいませんでした。一体、この時ここに何時間いたんだろう…。「ここにある絵画は全て私のもの!私のもの!」と心の中で歓呼しつつ、あっちへ行ったり戻ってきたり、美しい絵画に囲まれた楽しい時間を過ごしました。
ドイツに戻った後、夫が同僚にこの話をすると、同じ時期にトスカーナを旅していたその同僚は「ウフィツィ美術館もガラガラで殆ど人がいなかったよ」と言ったそうです。

がーん…。なんてこった。私は絶好の機会を逃したのだ。

なぜアカデミア美術館がガラガラだったと知った時、急遽旅程を延期してでもウフィツィ美術館へ行かなかったんだろう…。この件については、今でも思い出すたびに後悔しています。

(この記事は、2019年7月9日にブログに投稿した記事に写真を追加し、さらに後記を書き加えた上で、転載したものです。)