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長かった2年半

ある日、「去年の今頃は、ポルトにいましたよ」とiPhoneが教えてくれました。

私は、コロナウィルス禍の終わりが見えてきた2021年11月にドイツの大学へ進学することを決めました。日本で4年制大学を卒業しているため、学歴としての資格は既にありますが、それに加えC1レベルのドイツ語能力を証明しなければなりません。長期間ダラダラ試験勉強しても、私の性格上効果は上がらないと見込んだので、短期集中。試験勉強期間を3ヶ月に限定し、2022年2月にC1試験を受験することにしました。コロナウィルスに感染し途中で体調を崩すのは嫌だったので、語学学校には通わず試験勉強は家で一人コツコツ行いました。

ところが、久しぶりに机に向かったことが災いしたのか、1月に首を痛めてしまい、ある日全く下を向けなくなりました。止むを得ず診断書を提出して試験日を延期してもらいます。しかし、その後も首の調子は思うように回復せず、ほとんど勉強できないまま4月を迎えてしまいました。もう一度試験を延期しようか考える私に、「どんな感じの試験か知るためにも、合格するか否かは考えず、一度『お試し』で受験してみたら」と夫は勧めます。それもいいかもしれない。私は予定どおり受験することにしました。そうは言っても、受験するとなれば、やはり合格することを考えてしまいます。しかし、最も得意とする読解の試験の最中に首が猛烈に痛くなり試験に集中できなくなりました。机の上にある答案をできる限り遠くに押しやり、下を向く角度を浅くして解答を続けましたが、最後まで集中力をとりもどすことが出来ず、今回はもう本当にダメだったと項垂れて家路につきました。ところが思いもかけず、私はこの試験に合格します。その後、志望した公立大学から入学許可を得て2022年10月から大学に通い始めるまでは比較的順調でしたが、想像もしなかった問題がその後とんでもない方向からやってきました。

ドイツ鉄道の遅延に次ぐ遅延、キャンセルに次ぐキャンセルで、事前に想像することすらできなかったほど、通学に時間をとられることになったのです。時刻表どおりなら片道1時間ちょっとのところ、3時間以上かかることも稀ではありません。北風が吹き抜ける乗り換え駅で、いつ来るか分からない列車を30分も40分も待つ日が続きました。これでは家事も十分に出来ないし、家で勉強する時間もとれない。そもそも4年間このドイツ鉄道を利用して通学することが、果たして私には出来るのだろうか。毎日毎日、講義の開始時間に間に合うか否か、ハラハラしながら通学しました。私は電車が2分遅延しただけで車掌が車内放送で謝罪する国から来たのです。この状況は既に拷問に等しい。何がなんでも乗り越えるという気力も、もはや自分にはない。そのうちきっとストレスで倒れてしまう。そう思いました。1ヶ月経過したところで自分の限界を感じ、泣く泣く通学を断念することにしました。これは人生始まって以来初めての完全な挫折であり、自分の年齢を思い知らされた瞬間でもありました。

大学に籍を残したまま最寄りの都市の公立大学に聴講生として通いつつ、今後の身の振り方について考えた2022年秋から2023年春頃までは、今振り返ればけっこう辛い期間でした。しかも2022年冬から2023年春にかけてドイツ中部では天気が悪い日が何週間も続き、ほとんど太陽の光を見ることはありませんでした。ドイツの暗い冬が中欧らしくて好きだと自認する私も、さすがに気分が沈むこともありました。ですから、2023年3月に行ったポルトの青い空としっかりした春の光に、ずいぶん元気付けられ、助けられたように思います。iPhoneに促されて見たポルトの写真から、そんな過去の記憶を次々思い出しました。

2023年春の終わり、私は国立大学に再度出願しました。そして入学許可を得て、同年10月からそこで学び始めました。しかしそれは、40代半ばで初めて学んだドイツ語をキーにして高等教育を受け、果たして満足できる結果を出せるのか、常に不安を抱えた数ヶ月でもありました。ある日、SNSで私よりも遥かに若い年齢(推定)でドイツの大学に正規留学した方が「最初の1年くらいは片っ端から試験に落ちまくる」と書いているのを目にしました。「私の最初の1年(2学期間)もそんな感じかもしれない」と思い、試験に落ちまくった場合のシュミレーションを真剣に考えたりしたこともありました。

先日、第1学期の試験結果が通知されました。予想もしていなかった高得点に、最初は自分の目を疑いました。何度も大学の所定のサイトにログインし直して自分のアカウントだと確認して、いよいよ「これはホンモノだ」と確信すると、自分の年齢も忘れ思わず飛び上がってしまいました。ああ、これでようやく先が見えた。最初の学期を満足のいく成績で終え、やっと「私は大学生」と口に出来るようになった。終の住処と決めたドイツで社会的帰属を得たことも嬉しい。そして何よりも、期限ギリギリに出願したにもかかわらず、すぐに入学(転学)許可を出し、私に新たなチャンスを与えてくれた国立大学には、今も本当に感謝しています。

あっという間に過ぎたような気もしますが、こう振り返ると成功と挫折を繰り返した本当に長い2年半でした。しかし、私は今、スタートラインに立ったばかりなのです。今回のことで満足せず、来学期以降もしっかり学んでいこうと思います。ただし、身体を壊さない程度に。もう若くはないので。