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日記のようでそうでないもの #13

2018.12.26(wed)

眠剤と抗不安薬を少し多めに飲んだ。

寝ていたい。起きていると、もうあらゆることの自らの精神的な生命力の限界、希望的観測ですらの才能の無さ、常識的観点においての屑っぷりなど、自分の潔癖的厭世観のなかでは、とかく死ぬことばかり考えてしまう。現に三環系抗鬱薬の致死量の薬は冷蔵庫に保管してある。

長く生きていると諦めること、絶望、失望と対峙することが多くなる。希望を見いだせる純粋さ、たくましさ、太々しさが薄れていく。
図うずうしく生きる意味がわからなくなってくる。
守るものも無い私には余計である。

今日も服用量以上の手のひらの薬を水で流し込む。
ずっと眠っていたいのだ。ずっと。ずっと。そうすれば、しばらくすれば誰からも忘れてもらえる、自分が思うよりも論理的に死ぬことはもっと簡単なのではないか。(物理的に親交のある友人などはべつだが)

山も川も海も近くにあるような年間を通して穏やかな気候の、ちょっとへんぴな地方都市に行って、古民家カフェで調理場のお手伝いとかしたりハンドクラフトしたり、ミニチュアシュナウザーと一緒に暮らしたり、可愛い作家さんの雑貨や骨董品なんかを買って、お家の中を大好きな空間にして、安い賃貸物件で慎ましく、過ごしたい。

たまに物書き(写真で絵本作ること)もしたい。

長く使える頑丈な好きなブランドのお洋服だけを残してあとは全て処分、後は海外のヴィンテージ古着を買ってリメイクする。

そしてそんなささやかな日々を、その街を、人を、フィルムカメラで撮り貯めていく。

そういう暮らしがしたい。

その光がたくさん注ぐ妄想の世界に私はいない。

この手のひらの上の薬を飲むことで夢の中ではそういう日々を暮らせるかしら。

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