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日記のようでそうでないもの #12

2018.12.12(wed)

毎年、母の誕生日も命日もそれぞれ忘れることはなかった。

が、今年はちょうど日付が今日へと変わり、noteを書こうとして、母の誕生日が昨日だったということに気づいた。

すっかり忘れていた事に申し訳ない気持ちになった。

こうして年が過ぎるにつれ、父と母に纏わる日を忘れることが増えたり、墓参りに行く間隔も長くなったりすることは、親不孝なのでは、思ってしまうけれど、それは悲しみも後悔も昇華されていっているということなのかもしれないと考えたら、それは父と母への供養になるのだろうか。


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